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物とコスパ


news.nicovideo.jp




何やら「新車の軽を買うより中古のセルシオを買え」と言う記事である。


引用

さて、私が買ったいいモノとは車なのですが、その車とはトヨタセルシオセルシオといえばかなりの高級車として有名ですが、今回そのクルマを38万円(総額)で買いました。

 クルマに興味のない人からすると、「廃車寸前のボロボロ車を掴まされたネタ」かと思われるかもしれません。また、クルマに詳しい人からすると「今時セルシオかよ、しかも30前期(笑)」という感じでしょう。そして38万円で買っても税金が高かったり、維持費が高いと突っ込む人も多々いるでしょう。

 なんてたって、このセルシオはV8 4.3リッターという巨大なエンジンが搭載。多くの人がハイブリッドカーを買い、セルシオクラスの高級車までもが2リッター程度までエンジンをダウンサイジングする今では、かなり敬遠されるクルマです。

 実際、先日私の手元には8万7900円もの自動車税納付書がやってきました。また、数か月走った結果の平均燃費はリッター6kmといったところです。これがハイブリッドのクラウンやレクサスGSならば、自動車税は5万円以下、燃費はリッター10kmを超えるでしょう。

 セルシオはあまり壊れるクルマではなく、整備代がそこまでかからない反面、高い自動車税と燃費の悪さは、維持費の高さに繋がりそうなところです。

 そのため、38万円で買えるといっても結果的に高い買い物になるのではないかと思う人が大多数でしょう。しかし、私はこのセルシオこそお得だと断言します。

引用終わり。

そして、維持費の比較とか燃費とかの記事になって、「セルシオはいいぞ」になっていく、高級車が38万円で買えるから中古車にしろってという記事である。所謂、快適だとか、装備が良いとか。こうなってくるともう「セルシオの営業さんですか?」って感じで、ネタ記事なのかと思えてくる。

結論から言えば、好きな車を買えば良いだけで、軽だろうとセルシオだろうと関係ない。便利で気に入ったら買えばいいのだ。それだけであるが、最近は何かと「コスパ」である。その話に絡めて考えてみたい。

まあ計算しているのだから、その見積もりだと「中古のセルシオ」なのかもしれない。お得なのかもしれない。でも色々中古車には落とし穴がある。それを無視して書いてあるので、もう全然実態にあっていない見積もりになっている。

車検とか保険も見積もりも甘いのもあるけど、それは良しとしよう。それ以前に中古車は玉石混合である。良い中古車もあれば酷いのもある。38万で良い車に当たる事はまずない。販売店も商売なので相場は知っている。大抵購入してから修理する羽目になるのだ。それか事故車である。だから安い。

もちろん、調べられると言えばそうだが、販売店の裁量もあり、最低限の情報しか教えてもらえない。事故の有無なども販売店次第である。程度が分からない。だからその手の中古車情報はほとんどアテにならない。買って使ってみるまで分からんのだ。

そして大抵の場合は「安いから買ったけど修理ばかりで金がかかる」ってのが多い。販売店も分かっているから格安である。中古車は現品なので置いておくだけで駐車場など金が掛かる。価値も下がるので早く売りたい。そう言う訳ありの車が格安なのである。もちろん車検は切れているので取り直しである。38万で買ったらしいが、それも分からない。車検は別料金と言うのも結構ある。

そういうリスクを全く書かずに「中古って得」と書いてあっても、滑稽である。維持費だってそうである。私はタイヤ交換をしたけど、軽とセルシオで価格が違う。買ったけどタイヤがツルツルで交換なんてこともある。そもそも販売店の登録車検なんかアテにならない。交換が必要でもしなかったりする。結局買ってから交換である。事故車でフレームが歪んでるのもある。もちろん一応は修理もできるけど完全には治らない。骨盤矯正みたいなものである。足回りもサスペンションの劣化は防ぎようがない。バネだからへたる。ダンパーも油圧がほとんどだから劣化する。そう言うのは現品次第である。フレーム歪みや下回りのサビなんかも中古車には付き物だ。フレームは事故車で無くても経年劣化で歪む。新車と同じには戻らない。エンジンの程度は元オーナーの乗り方にもよる。どうしても癖が付くので、同じ中古車でも「ワンオーナー」が高価なのはそのせいである。いろんな所に癖が付くからだ。

こういうのは試乗しないと分からないのであるが、中古車は試乗できない。新車はまだ試乗会などもあり、感じでわかる。でも中古車の癖は乗って見ないと分からない。中古を買う時には中古のリスクも考えた上で判断すべきだろう。実際私は中古車を買わない。だったら新車の軽自動車で良い。そんなリスクと付き合うつもりがないからだ。だったらコスパが悪いと言われようが新車を買う。精神衛生上も良いからだ。そもそも、当たりの中古車を探す労力がもったいない。コスパで見ればその方がよっぽど損だ。

逆に中古を薦められるケースもある。免許取り立ては「どうせこする」と言われて中古を買う事が多い。新車を買ってもすぐ傷つけるからだ。だったら中古にして、好きな車が決まったら新車を買えばいい。最初は失敗もあるし、好みも変わるので、中古の情報誌やカタログを見て勉強するのもある。安い中古でも2年の車検で乗り換えるならそれも良い。いろいろである。

そして、軽なのかセルシオなのかはもう好みでしかない。38万円の中古のセルシオを買った斉藤由貴生にとっては「高級車」なのだろうが、私なら軽の方が良い。38万でも買わない。デカいし取り回しは不便だ。確かに長距離は軽はキツイかもしれないが、1日100キロ200キロ乗る訳じゃない。乗り心地だって軽で十分である。パワーって言ったってドイツみたいに高速道路を、時速300キロって訳じゃない。そもそも一般道は時速60キロである。出だしの速さはパワーはあまり関係ないから軽でも良い。実際発進加速は重いセルシオより軽の方が軽快だ。

そしてセルシオのような車は駐車場の問題がある。ほとんどの立体駐車場に入らない。マンションの立体駐車場もキツイ。もちろん車庫証明が必要なので駐車場が必要であるが、セルシオクラスだと探すのにも一苦労だ。もちろん料金も高い。その借りる駐車場の維持費は計算に入っているんですかね?とかもある。

その点軽は心配がない。軽の入らない立体駐車場などない。そもそもそんなの駐車場じゃない。ちなみに駐車場には「軽」と書いた駐車場がある。軽なら駐車できると言う意味だ。そういうスペースは一般車は入れないから軽が便利である。混んでてもそこだけ開いていたりもする。そこが便利で使い勝手がいい。

この利便性に比べたらセルシオの価値など、私にはどうでもいい価値である。逆に不便で扱いにくい高級車など不要である。ちなみ私は8トントラックを運転していた。仕事で1日120キロとか運転していた。だから運転できないと言う訳ではない。でも大抵は大きな車は敬遠される。女性には多い。日常生活で使うのにセルシオなんかいらないのだ。

結局「コスパって何?」って話になる。維持費や金の問題ではない。俺の価値は俺が決めるって事である。俺のコスパも俺が決める。すべてを金に置き換える事できる訳でもない。斉藤由貴生はあくまで「金に置き換える価値」でのコスパでしかない。置きかえらない価値は「人それぞれ」でしかない。

「損得」で考えるからおかしくなる。「価値」はそれを買う俺が決める。結局は欲しければ買えばいいのだ。

この辺で締めたいと思います。

長文で読んで下さってありがとうございました。

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封じ手について



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先日、将棋の名人戦第四局の一日目の封じ手は長考になった。予定時刻を50分近く過ぎて封じたのだ。

名人戦は一局を2日かけて行われる。対局者はその前日から入るから滞在は三泊四日である。二日目は対局が深夜に終わる事もあるから、次の日の朝に帰京する。対局前日の午前中から入り、準備とか前夜祭をやって対局である。準備と言うのは部屋を見たり、使う駒や盤の選定もある。名人戦ともなると駒にも気を使う。プラスチックで合板の将棋盤と言う訳にもいかない。大抵将棋盤の裏に対局者がサインしたりしてプレミアがつく。もちろん駒も一級品だ。駒は書体などもあり、気にする棋士は結構多い。一度NHK杯で駒の交換を見た事がある。収録前に棋士からクレームがついて交換したらしい。テレビ対局では珍しいのでNHKが対局前に説明していた。

中継などカメラが入る場合もある。前日にカメラテストしてチェックをする。棋士も気になるのでカメラ位置など打ち合わせをする。そう言うことを仕切るのが「立会人」である。たまにあるのが部屋の温度とかである。暑がりの棋士と寒がりの棋士ではちょうど良い室温が違う。そんなことも調整するのが「立会人」なのだ。

名人戦は持ち時間が9時間である。これは一人当たりなので対局者二人で18時間である。途中で食事休憩を入れるので20時間~22時間である。食事は昼食と夕食の二回の休憩があるからだ。実際には秒は消費時間にならないので一手一分程度の誤差が出る。120手とかだと120分、2時間程度伸びるのだ。「一分将棋」と言うのは持ち時間があと一分で一分以内の秒は入らないので「一分以内で指す」将棋の事を言う。持ち時間を使い果たした、終盤の緊迫した場面でよく起きる。熱戦になって両方一分将棋と言うもある。持ち時間は使い果たしているので、当然二日目の深夜である。

なので当然一日では終わらない。中断して翌日再開である。その手続きが「封じ手」である。中断なのでまず手番がある。先手、もしくは後手の手番から再開である。でも単純に再開すると「自分の手番で中断した方が有利」になってしまう。再開まで考える事が出来るからだ。なので一日目の最後の手を紙に書いて「封じる」のだ。翌日再開の時に開けて再開する。封じた手は変えられないから公平である。その手は持ち時間内で考えて指した手ある。相手も封じ手を見ることが出来ないから有利になることもない。もちろん立会人も知らない。知っているのは封じた本人だけだ。

名人戦では封じ手は一日目の午後6時30分過ぎたら、手番を持っている側が封じなければならない。これは規定でそうなっている。今回をそれを50分過ぎてから封じた。

言っておくがこれはルール違反ではない。「封じなければならない」のであって「6時30分に封じろ」ではない。長考したければすればいいのだ。もちろん持ち時間は消費する。それだけである。手が決まらなけば長考していい。ただその手は「封じ手」となる。だから50分長考して、封じたのである。

逆に6時30分前でも「封じます」と言えば封じる事がである。「今日はおしまいにして明日続きをやる」と言う宣言である。その場合は「6時30分まで考えて封じた」とみなす。封じた棋士の持ち時間が減るのである。手は決まってるけど調子が良くなくてちょっと早めに上がりたいとか気分もある。阿吽の呼吸で6時25分あたりに封じることが多い。

時に封じるのが好きな棋士と嫌いな棋士がいる。封じられるのが嫌いな棋士もいる。封じた手が気になって眠れないとかあるのだ。相手の手なのだから明日にならなれば分からないのだが、どうしても気になる。犯人が気になって推理小説の最後が読みたくなるのと一緒だ。イライラする。そうならない為には封じるしかない。封じれば手は知っている。安心して寝れるのだ。翌日睡眠不足では対局に影響する。

反対に封じるのが嫌いな棋士は「本当にそれが最善手だったのか?」と思い悩む。もう封じたんだから、手は変えられないのだが。時間があるので考えてしまう。そして「こっちの方がよかったかも」とか考えるのが嫌なのだ。この場合は相手に封じさせるしかない。

なので封じ手も駆け引きである。封じられるのが嫌な棋士はちょっと早くても「封じます」と言えば封じれる。逆に封じるの嫌な棋士は6時29分まで待って「いきなり指す」一分では大抵は指せないからだ。時間を過ぎれば相手が封じなければならない。これは規定である。封じなくて良いのだ。

こういうのは棋士の付き合いで、棋士同士も知っている。だから相手が封じるのが嫌いなら、わざと封じさせてたり。相手が封じられるのが嫌いなら、先に封じてしまう。これでイライラして「夜寝られなかった」とかしてくれれば儲けものだ。ただでさえ翌日は決戦なのだから興奮して眠れない。普通でも眠れないのだそうだ。窓の外の相手の部屋の明かりが付いているの見て「相手も寝れないんだな」と安心して落ち着いたら眠れたと言う話もある。

封じ手にも勝負の駆け引きがあるのだ。

この辺締めたいと思います。

長文を読んでくださって、ありがとうございました。

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代打と継投

 

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先日の「阪神、中日」で珍事が起きた。

引用

阪神は七回1死から救援登板していた桑原が、マウンドで投球練習を開始。ここで香田投手コーチがマウンドに向かうと、高橋を乗せたリリーフカーが球場内へ。投手交代の予定だったようだが、審判団の制止に香田投手コーチは、苦笑いを浮かべながらベンチへ戻る。そのままリリーフカーが、引き返すハプニングとなった。

 野球規則では「すでに試合に出場している投手がイニングの初めにファウルラインを越えてしまえば、その投手は、第1打者がアウトになるかあるいは一塁に達するまで、投球する義務がある。ただし、その打者に代打者が出た場合、またはその投手が負傷または病気のために、投球が不可能になったと球審が認めた場合を除く。また、投手が塁上にいるとき、または投手の打席で前のイニングが終了して、投手がダッグアウトに戻らずにマウンドに向かった場合は、その投手は、準備投球のために投手板を踏まない限り、そのイニングの第1打者に投球する義務はない」とある。

 阪神ベンチは八回まで桑原を続投させる意思はなかった。ただ先頭が投手のバルデスで、相手ベンチが誰を代打で起用してくるか見た上で投手交代を告げようとした。バルデスは七回までに球数が95球に達しており同点の展開。高い確率で代打を送ってくるだろうという想定だったが、中日ベンチはバルデスの続投を決断。そのまま打席に向かわせた。

 ここで代打が出なかったため、金本監督は投手交代を告げていたが認められなかった。吉本球審も一度は受理したが、責任審判の東二塁塁審が両手で×のジェスチャーを作り、場内コールが行われる寸前で止まった。

引用終わり。

つまり、7回の表、1アウトから桑原が継投に出て6番ゲレーロ死球を出したが、その後の7番堂上、8番代打藤井を抑えた。でもって、珍事が起きたのは8回の表である。9番は投手のバルデスである。展開から見ても当然代打である。

でも代打が出るとしても右打者か左打者か分からない。初めから、続投ではないが、阪神は中日の代打を見てから変えたい。中日の代打宣告があると思っていた。それなら交代できる。

でも中日は代打を出さなかった。バルデスが打席に出てきたのである。なので上記のルールが適用される。投手はマウンドに立ったら、最低一人には投げなければならない。なので交代は認められない。イニングの初めから桑原はまた投げていないからだ。だから受理されずリリーフカーが戻ったのである。

その種のルールは意外に知られていないので、よく野球マンガのネタになる。「ドカベン」にもあった記憶がある。「打者は打席に立たなくても交代できるが、投手は最低一人には投げなくてはいけない」である。「代打の代打」は出来るが、「継投の救援」は出来ないのだ。なので「代打の代打」はプロ野球でもある。ちょっとテクニカルで玄人好みの戦術である。最初に右投手に左の代打を出す。相手が左投手の継投をしたら「代打の代打」で左投手に強い右の代打を出すのだ。投手は「最低一人には投げないといけない」ので交代できない。これが「代打の代打」である。

ちなみに投手は守備位置なので交代とは別である。これは高校野球などで多い。打者としてのセンスもあるから、交代ではなくて外野の守備についたりする。同様に外野の選手が投手をやったりする。日ハムの大谷選手は「二刀流」なので「九回の抑えだけ投手として使えないか?」とか検討されたらしい。通常は外野の守備をして、最終回だけ投手である。マンガみたいな使い方だけどね。パリーグ指名打者制だけど、指名打者制は任意なので採用するかはチームの判断による。日ハムは「大谷が先発の時だけ指名打者を採用しない」とか検討された。大谷の打力が魅力だからだ。結局負担を考えてその方針はとられなかったが。

選手交代の珍事と言うのは結構ある。面白いのは金田正一の「ピッチャー俺」である。

これは1960年の事である。10年連続20勝のかかった試合で、新人の島谷と言う選手が先発になった。この年金田は前半戦は体調不良で成績が出なかったらしい。4回までリードしていたが5回にピンチになった。そこに金田が出て行って審判に「俺が投げる」と言ったらしい。

当時は野球もおおらかで、阿吽の呼吸と言うのもある。当時は金田の継投はいつもの事である。審判も「投手交代」と言った。これが騒ぎになった。金田は監督の承諾も無しに出て行ったのだ。監督は島谷をかえるつもりがない。「言っていない」で大混乱になった。審判は「監督も分かっている」と思って宣告したのだ。でも宣告してしまった。訂正できない。結局審判が監督に説明して金田が継投した。そして勝って10年連続20勝となるのである。

野球の規定だと「5回投げ切らないと先発投手は勝利投手になれない」とある。勝利投手の権利と言うのはこの事を言う。だから金田は勝手に交代を言いに行ったらしい。記録がかかっていたからだ。

こう言う珍事も野球の魅力である。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さって、ありがとうございました。

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自力優勝

 

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ロッテの今シーズンの自力優勝が消滅した。

引用

 ロッテは37試合目で自力Vが消滅。9勝27敗1分けのロッテが残り試合に全勝すると、115勝27敗1分けだが、首位の楽天(24勝9敗)が、ロッテとの残り18試合に全敗しても、ほかのカードで全勝なら、116勝27敗となり、ロッテは楽天を上回れないため、自力優勝がなくなった。

 早期の自力V消滅には、90年のダイエーが5月29日に37試合目で消滅。58年の近鉄は5月22日の35試合目でなくなった例がある。05年の楽天が4月30日、29試合目で自力1位が消滅しているが、この年は、上位3チームによるプレーオフで優勝が争われたため、自力Vは残った。

引用終わり。

自力優勝と言うのは「直接対決で勝てば優勝できる」と言う意味である。例えば6チームで10試合づつのリーグ戦の場合。合計で各チームは50試合のリーグ戦である。そして首位が11勝0敗で最下位が0勝11敗とする。直接対決は10試合しかない。仮にその試合をすべて勝っても首位は11勝10敗、最下位は10勝11敗である。他チームの対戦には関与できないので、それは運で祈るしかない。それが「自力優勝消滅」である。

大抵自力優勝消滅はオールスター後あたりから最下位のチームに起きる。残り試合は減っていくので必ずそうなるのだ。もちろん直接対決をすべて消化してしまえば「自力優勝」は消滅する。対戦そのものが無いからだ。後は他のチームに勝ってもらうしかない。

マジックと言う概念がある。これも自力優勝に関係している。これは「首位と他のチームすべてが自力優勝が無くなった」時点で点灯する。例えばマジック20は「首位があと20勝すれば優勝」である。これはもうどうしようもない。他のチームの自力優勝が無いのだから。あと首位が負けるかどうかだけである。なのでマジックも終盤には必ず点灯する。残り試合との兼ね合いだけになるからだ。例えばマジック1でも最終戦なら勝たないと優勝できない。逆に10残っていても、残り試合が20試合あれば五割でも優勝できる。

時としてマジックは2位のチームに点灯することがある。これは残り試合に開きがある場合だ。どうしても雨で中止がある。日程消化は均等ではない。特にホームがドーム球場で無い場合は、雨で中止は多い。楽天など日程消化が遅い方である。広島も多かった。

例えばこんな例である。6チームで3試合づつ15試合のリーグ戦とする。直接対決は消化したとする。

1位、7勝6敗残り2試合、勝率5割3分8厘
2位、5勝5敗残り5試合、勝率5割
以下省略。

現状の勝率では「7勝6敗」が首位だが2位のチームに「マジック5」が点灯する。1位があと2勝しても9勝6敗だが、2位が5勝すれば10勝5敗だからだ。そして1位に「自力優勝」は無い。直接対決が無いからだ。自力で2位に負けを付けることができない。

こう言うケースもある。

かように、ちょっと複雑で分かりにくい自力優勝とマジックだが、流石に交流戦前の5月ともなるとロッテのファンもしてもしんどい。気分はもう9月になってしまう。大抵マジックが点灯するのが8月半ばから9月初めである。最下位でももう少し優勝の可能性を期待したいのだ。

首脳陣も頭が痛い。監督の進退にもなる。現実的に見て、優勝は無い。プレーオフも絶望的である。この成績で来期も監督続投とはまずならない。水面下では来期の監督人事が始まっている。相手にも予定がある。野球解説など、契約があるからオファーしても、先方にも契約がある。交渉するなら早い方が良いのだ。仮に監督をするなら解説の仕事は休まないといけない。

受ける方も不安である。人事なので分からない。内定取り消しなんてこともある。でも解説の仕事もある。事前に断りを入れておかなければいけない。なのでオファーを断るケースも多い。もう解説の仕事が決まっているから、違約金は発生したりするのだ。

なので、事前に「監督を休養」させる訳である。報道が出れば、次期監督も安心して、来期の計画が立てられる。オファーしやすい。休養と言っても、実質更迭である。辞めることが確定なので、人事担当も仕事がしやすい。どのみち、誰がやっても今シーズンは終わったのだ。来期の為の準備をした方がいい。

それでも監督が決まらない場合がある。その場合は内部昇格で「暫定監督」になる場合が多い。楽天の大久保監督がそうだった。大抵は1年契約である。新監督が1年で結果を出すことはまずない。つまりその間に「本命の監督を招聘する」のである。つまり大久保は繋ぎである。大久保は2軍監督だった。チーム事情も知っている。繋ぎとしては適任である。だから1年契約なのである。あくまで繋ぎなので1年で辞めてもらわないといけないからだ。

とにかくロッテはしんどい。ここは焦ってもしょうがないので、来年獲得する外国人を探したり、若手を使って経験を積ませるとかした方が良いだろう。シーズン途中で補強して結果が出る事は稀である。こういう時こそ阪神の金本監督のように「超変革」で若手を使うべきである。とは言うものの、現場の監督はどうしても結果を出さないといけないので「休養」と言う事にもなるのだが。辞める監督が来期の為に選手を育てたりしない。次の監督の手柄になるだけだ。だったらやりたいように采配して去っていきたい。なので休養と言う事にして現場から外すのだ。

このようにして監督人事も裏では色々ある。それもプロ野球の楽しみ方の一つだと思っている。

この辺で締めたいと思います。

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名前と三菱

 

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三菱東京UFJ銀行」が「三菱UFJ銀行」に社名を変えるそうだ。最近は企業合併などもあり、企業名はよく変わる。銀行では「みずほ銀行」は第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が合併した銀行だが、私の中では「第一勧業銀行」のイメージが強い。「ハートの銀行」が通称で、通帳にもハートマークが印刷されていた。小学生の時に町に支店が出来て、お年玉で口座を作ったのだ。あとは宝くじの当選金は第一勧業銀行でやっていた。今ももちろんみずほ銀行だ。なので宝くじ売り場が併設されていたりする。

そして合併すると上記のように社名を変える事が多い。みずほ銀行のように違う名前になる場合もあれば「三菱東京UFJ銀行」のように社名を繋げる場合もある。ちょっと前は「東京三菱銀行」だった。東京銀行三菱銀行が合併して出来た銀行である。そのあとUFJ銀行を傘下に入れた。

時に名前と繋げる場合、その順序が問題になることが多い。例えば条約の名前だ。「日米安保」は「日米安全保障条約」と日本では言う。「米日安保」とは言わない。相互条約なので、名前などどうでも良いか言うとそうでもない。もし政治家が「米日関係」と言ったら問題発言に必ずなる。必ず「日米」と言わなければいけないのだ。フジテレビの炎上も「韓日戦」と言ったからだそうだ。

反対にアメリカでは「米日」と書く。なので実を言うと条約名は当事国で違う名前で発行されている。名前を統一すると順序が問題になるからだ。「日韓共催」も韓国では「韓日」である。基本的には上位を先に書くようだ。なので「東京三菱」と「三菱東京」では、当事者にとっては意味が違って来るのである。


三菱はプライドの高い企業だと言われている。旧財閥の中でも連帯感が強い。浦和レッズは「レッドダイヤモンズ」が正式名称である。「赤いダイヤモンド」は三菱のロゴを表している。Jリーグ以前は三菱自動車が運営していたから、チーム名に入れたと言う。Jリーグは親会社の企業支配を嫌ったので、プロ野球のように社名を入れる事ができない。あくまでスポンサーだ。これはJリーグがクラブチームの自立を理念とするからだ。

 

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三菱は幕末の土佐人の岩崎弥太郎が創業した。海運業から始めて財閥となり、今の三菱である。幕末の土佐人と言えば坂本龍馬が有名である。明治新政府の基となる「薩長同盟」にも土佐は関わっている。もちろん明治新政府には土佐の派閥があった。

そして明治維新と近代化である。殖産興業で国家が産業を育成した。その政策と岩崎弥太郎は結びついて財閥となる。岩崎弥太郎は「政商」でもあったのだ。実際海運を独占していた頃は、政府との癒着で糾弾もされていた。その後、海運事業は三井の「共同運輸」と合併して日本郵船となる。

東京の丸の内を開発したのは三菱である。丸の内には三菱系列の本社が多い。「三菱村」とも呼ばれている。これは官有地だった丸の内を岩崎弥太郎に払い下げたのが始まりだそうだ。当時の東京は日本橋が商業の中心で、丸の内は武家屋敷を取り壊した跡地だった。そこに三菱はオフィスビルを建てて、そして今の丸の内がある。

なので丸の内では反三菱の経済紙は売れないと言う。高校時代の社会の教師が言っていた。ほとんどが三菱系列の本社のビジネスマンだからである。悪口を書いたら総スカンである。反対に日本橋三越・三井系だそうだ。銀座の三越、丸の内ビルの三菱である。

大河ドラマの「龍馬伝」にも三菱は関係している。坂本龍馬は土佐の土豪である。ドラマの岩崎弥太郎の回想から始まる。そしてドラマにもよく弥太郎は登場する。半分は岩崎弥太郎のドラマと言っていい。でも岩崎弥太郎土豪出身の半農民である。史実的に致し方ないが、三菱の幹部にとっては不快だったらしい。NHKとの間で問題になったそうだ。

 

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この「龍馬伝」は企画段階で紆余曲折があるらしい。最初は「岩崎弥太郎」だったとも言われている。三菱側も乗り気だったようだ。それが「龍馬伝」になって、創業者はひどい扱いになってしまった。三菱にもプライドがある。創業者をあんな風にやられてたら我慢できない。クレームを入れたとか、入れないとか。一応NHKはこの種の報道を否定しているが、相手は天下の三菱グループである。NHKと言えど無視はできない。Jリーグのチーム名を「赤いダイヤモンド」にした企業である。

なので「三菱UFJ」と言う名前にも、三菱のプライドが見て取れるのだ。

この辺で締めたいと思います。

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鉄砲と種子島と硝石

 

dekunobou1025.hatenablog.com



大河ドラマで鉄砲のことを「種子島」と言っていていたのが気になって書いてみる。タイトルも「消された種子島」となっている。もちろん火縄銃のことなのだが、学校では「鉄砲伝来」とはもう教えないのだろうか?

ます鉄砲の語源である。これは元寇の時に蒙古軍が使った火薬兵器から来ている。こっちをあえて「てつはう」書く場合もあるが、これが語源である。この兵器もよく分かっていない。「火薬を使った」程度である。実際の殺傷力より「音に驚いた」そうだ。音響兵器だったみたいである。とくに馬は音に敏感な臆病な動物である。

なので西洋銃の前にその種の火薬兵器はあった。焙烙玉などもあり、村上水軍などでも使っていた。主に水軍の兵器で接弦して敵の船に放り込んだりしていたらしい。信長も水軍もこれにやられて負けた事がある。この対抗策として信長は「鉄甲船」を作ったとされている。木造船に鉄板を張って、延焼を防いだと言うが、不明な点も多い。

「火槍」と言う。応仁の乱の頃に日本でも使われていた。筒の先から玉を発射する。棒の先に括り付けたので「火槍」である。

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種子島の火縄銃以前はこれを「鉄砲」と呼んでいる場合もあり、そうなるとかなり解釈が変わってくる。たしかにあの感覚だと命中率は期待できない。応仁の乱を経験している諸大名で評価が低いのも頷ける。実際にそののち廃れていった兵器である。なので火縄銃に興味をもたなかったとも考えられる。なまじ知っているので知識が邪魔をしたのである。

なので区別して最近では「種子島」と表記している訳である。

もちろん歴史的に見て、西洋銃が伝来したのは種子島が最初である。事実がそう変わっている訳ではない。ポルトガル人からと言うのも変わっていない。正確には「種子島銃」と言うらしい。その後、国友や堺に伝わった。

そして大河ドラマでも「その火縄銃を作る」と言う話である。ちょっと史実的には無理があるが、まあドラマなので、物語の都合だろうとは思う。その前の回は「綿を植える」って話らしいが。

でもって火縄銃である。もちろん日本で複製して生産した。銃身はわりに簡単に作れたらしい。火縄や着火の仕組みなんかも割と簡単に真似できた。外側から見ることもできるし、バネとかは当時の日本にもあった。応用で間に合わせができる。

苦労したのは、尾栓である。これが分からなかった。なので作ってもすぐ暴発する。当時の日本には「ネジ」そのものが無い。どうやって作っていいかも分からないのである。またどうしても銃身内部に火薬のカスや摩耗した銃身のカスが溜まる。それを分解掃除するためにも尾栓は必要になる。外して掃除したいのだ。

そしてらせん状に切った「ネジ」の概念は分っても、作り方となるとまた問題である。ピッタリと合うネジが作れない。雄ネジと雌ネジをどう合わせるかである。実を言うと当時の本当の製法は解明されていない。オスから作ったのか、メスからつくったのかも不明だ。

一応妥当な説としては、まず雄ネジをヤスリで削り出す。これは金属の棒をらせん状に丁寧に削るのである。そして、それにあった銃身を作る。銃身は単なる筒なので割と容易に作れる。そして片方を熱して柔らかくする。そこに、作っておいた。雄ネジを入れるのである。木ネジのように雄ネジは銃身に入っていく。そして完全に入ったら柔らかい銃身の周りを叩いて「跡を付ける」のだ。冷めると跡が残り雌ネジの完成である。なのでオスもメスも一点ものだ。違うネジだとあわない。指紋みたいな感じだからね。

この方法が一番合理的で簡単なので通説になっている。

そして銃器なので火薬の問題がある。火薬が無ければ使えない。しかしその製法は秘伝である。山伏など知っていたとも言われている。仮に知っていても硝石の問題が大きかった。

硝石は天然資源である。日本では硝石が取れない。鉱山がないのだ。当時も輸入に頼っていた。信長も堺からの輸入である。ちなみに硝石は南米チリの鉱山が有名である。第一次世界大戦以前は多くはチリの鉱山に頼っていた。

硝石はアンモニアで作られる。なので鉱山の無い日本では「古い馬小屋の土」から硝石を採取したこともある。馬の糞尿が土中の微生物で分解されて硝石となるのだ。土硝方など使って作る方法もあったが、これも蚕の糞などを土に埋めて、分解させて残土から硝石を抽出する方法で、生産量にも限りがあった。長篠の合戦の時に信長は「一丁あたり300発」とか書いてあるけど、これは通達で、努力目標みたいなものである。「用意するように」と言うスローガンみたいなものだ。

かように貴重な硝石であったが、大きく変わるのは第一次世界大戦である。それは「アンモニアの人工合成」が可能になったからだ。

アンモニアの化学式はNH3である。Nは窒素、Hは水素である。それは以前から分かっていた。そして大気の主成分は窒素で約8割、酸素が2割程度で残りは二酸化炭素などである。その窒素と水素があれば、原理上アンモニアは生成できる。水素は水を電気分解すれば作れる。私も中学生のとき実験で水の電気分解はやった事がある。

後は大気中の窒素を化合させるだけだが、この方法が分からなかった。各国はその方法を研究していた。実用化したのはドイツである。フリッツハーバーと言う科学者で、もちろんノーベル賞も受賞している。アンモニアは肥料の原料にもなるからだ。こうしてできた化学肥料は世界で爆発的に普及した。空気と水から肥料が作れるのだから大量に使用した。副作用として土壌汚染もあるけどね。

そして、これによって無限に弾薬が供給できるようになる。これが塹壕戦と機関銃の恐怖となった。無限に弾薬が使えるから、打ち続けても玉切れになること無い。大砲もである。長時間は砲撃しても尽きることがない。空気と水で火薬は作れるのだから。当時のドイツでは「ドイツ人の汗で火薬は出来ている」と国民を鼓舞して生産した。総力戦の概念が確立したのも、第一次世界大戦からである。「それは火薬が尽きることがない」からである。その気になれば永遠に戦争ができる世界になってしまったのだ。

そしてその機関銃の網を突破するために、数万人規模の犠牲者が出るようになる。日露戦争二百三高地のような被害が日常になった。戦線は膠着して数メートル前進するだけで大量の兵士が数丁の機関銃で全滅する。このような戦争はかつてなかった。そしてこの戦争が終って欧州各国は国際連盟を作るのである。

第一次世界大戦と言うと、どうしても、戦車や飛行機などの派手な兵器や、毒ガスなどが語られる事が多い。まあ毒ガスついてはハーバーが関係しているのであるが。こうした事に目を奪われがちだ。しかしその視点は、実はミリオタっぽい視点である。戦争は衣食住から、情報、通信、思想や芸術も含まれる。兵器だけでは語れないのだ。

そして一番の変化は「アンモニアの人口合成」である。これによって世界は変わった。現代戦でも弾薬は不可欠である。アメリカも銃社会も、弾薬な無ければ成り立たない。安価で、大量の弾薬が出回る社会だから、大量の銃が存在できるのだ。それは大量の火薬が生産できるからであって、それはハーバーの「空中窒素固定法」から始まったのだ。そして、大量の化学肥料が世界の人口を支えている側面もある。

世界が変わると言うのはこう言うことなのだろう。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んでくださって、ありがとうございました。

 

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井伊直虎と寿桂尼と大河ドラマ

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今年の大河ドラマは「女城主直虎」である。視聴率は今一つの様であるが、女性の大河ドラマでは「篤姫」とか「春日局」など高視聴率を取った作品もある。なので戦国と女性について書いてみたい。

でもって直虎であるが、戦国に限らず歴史上の女性は記録が残っていない。前にも書いたが「名前すらわからない」ことが往々にしてある。なので直虎もほとんど通説である。「直虎は男だった」と言う説も出てきて、こうなるともう「女城主」じゃないじゃん。とかになってしまうので大変である。なので、創作の部分が多い。それはそれでドラマなので良いと思っている。

 

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井伊家は徳川家康に臣従して、井伊直政が武功を上げて、その後の幕府の重臣となった。直政を育てたのは直虎なので、井伊家飛躍の女城主と言う事である。当初は今川に付いていたが、今川の滅亡を見切って徳川に付く。浜松なので私は一応県民ではあるが、やっぱり今川はやられ役である。桶狭間で義元は戦死する。井伊家の功績は徳川に仕えてからなので、県民としてもやっぱりピンと来ない今年の大河である。微妙である。

井伊直政と言うと関ケ原で東軍として参加した。「井伊の赤備え」とも言われる。赤備えと言うと昨年の真田幸村が有名だが、井伊直政も「赤備え」である。武田家臣だと山県昌景が有名で、元は兄(もしくは叔父)の飯富虎昌が最初だとも言う。なので本当は幸村の専売でも代名詞ではないのだが。井伊家は本能寺の変の後、甲斐が徳川領地だった頃に、大量の武田旧臣を雇用したと言う。その縁があって「赤備え」としたらしい。その旧武田家臣はそのまま関東に行って徳川の直臣になる。井伊家も同じだ。

女性の戦国大名と言うと井伊家の属していた今川である。寿桂尼と言う女性がいる。義元の生母で今川の女帝とも言うべき存在だ。今川氏親(義元の父)の正室で義元の兄の氏輝も生んでいる。そして今川氏親、氏輝、義元と今川の当主である。その点もあって大河ドラマでも寿桂尼は大きく使われている。今回は浅丘ルリ子が演じている。過去には「武田信玄」で岸田今日子、「風林火山」で藤村志保が演じている。

義元は元々は出家していた。4歳で出家して仏門に入った。兄の氏輝が宗家を継ぐから問題にならないように仏門にいれたのだ。その時の教育係が、後に「今川の軍師」になった太原雪斎である。そして京の五山でさらに仏門の修行をする。なので義元は幼少期から成人するまで京の寺社や公家の文化を身に着けた教養人でもあった。

家督は氏輝なのでそのままなら、仏門の人生だった義元だが氏輝が急死する。そして彼を担ぎ出したのは寿桂尼である。当時「栴岳承芳」と名乗っていた義元を還俗させて「今川義元」とした。「義」は当然「足利義輝」の「義」である。そして、対抗馬の「玄広恵探」を倒して今川当主になる。これを「花倉の乱」と呼ぶ。公家風でおぼっちゃんのように思われる義元だが、実は下剋上で成り上がった戦国大名の一人でもあるのだ。そしてこの「花倉の乱」で弱体化した今川家を立て直したのが義元と寿桂尼太原雪斎である。もちろん北条と今川の関係にも寿桂尼は関係している。

小田原北条家の初代で有名な北条早雲であるが、元々は今川の客将である。そもとも「北条」と名乗っていない。名乗り始めたのは2代目以降である。「伊勢宗瑞」と言うのが本当らしい。幕府の役人で今川に仕えていた。なので初めは駿河の「興国寺城」に所領をもっていたと言う。

それが伊豆の動乱に介入して戦国大名になって行くのである。そして「早雲に預けて」あった興国寺城の扱いで、今川と北条は対立する。今川はもう北条は伊豆と相模を取ったから「返せ」といった。北条は「早雲が貰った土地」だから固有の領地で返せないと拒否した。これをきっかけに「河東の乱」が起きる。そして今川は北条と決裂して武田と同盟する。最初に武田信虎(信玄の父)の娘と義元が婚姻する。その後信玄に京の三条夫人を斡旋するのも今川である。信玄が追放した父信虎を引き取ったのは今川だし、第二次川中島合戦で停戦の調停をするのも今川である。ちなみに川中島合戦は都合5回あり、山本勘助とか映画などで有名なのは「第四次川中島合戦」である。そして「河東の乱」は太原雪斎を有名にした「甲相駿三国同盟」で終息する。

太原雪斎が没し、義元が桶狭間で戦死すると、俄然寿桂尼の負担は大きくなった。寿桂尼の印判を使った文書も残っている。公的文書が残っている女性はほとんどいない。この点から見ても寿桂尼が今川家で実際に公的活動していたのがわかる。若い氏真に代わって文書を出していたのである。氏親の死後、氏輝の代わりに公文書も出しているようだ。氏輝が14歳~16歳の間らしい。

そして信玄の駿河侵攻が本格化するのは寿桂尼の死後になってからである。

まさしく今川の「女帝」であり「ゴットマザー」である。寿桂尼は「死して今川の守護者たらん」と遺言したとか、まさしく、今川のために生き、死んだ女性である。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さってありがとうございました。

 

 

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