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キングコング西野の危うさ

芸能 雑談

所謂、キングコング西野の炎上について思う所を書いてみる。

まあ、いきなりこのネタで書いて飛び火で閉鎖とかにならん程度という感じで。

結論から言えば「西野がゲスいから」に尽きるんだが。それは1万部を自腹購入とか、クラウドファンディングとか、ネットで無料公開とか金の奴隷解放宣言とか。

一つ一つに西野は反論してるみたいだけど、論旨がバラバラで、言動に一貫性が無い。だから炎上してるだが。自腹購入はどう見ても「金の奴隷」だと思うけどね。それでいて建前で子供使って美談に仕立てたりする。もうそう言う言動不一致ばっかて、発言も二転三転で右顧左眄してる。その「美談」もいつのまにか「宣伝」にすり替わってるし、そんなんばっかだから炎上して当然なのだが。

それも西野に言わせてれば「宣伝になって好都合」みたいなので唖然とするばかり。

まあ、それだけ書いてもアレなので、ここからそれを少し掘り下げたいと思う。

自腹購入の危うさ

西野は初動の売り上げ実績を作るために出版社と話して1万部購入したらしい。それが今回の炎上のきっかけらしいが、それが西野の「販売戦略」らしい。

目的は「書店で平積みにしてもらう」ためらしいが、確かに最近新刊であっても売れそうにない本は平積みにされない。たとえ平積みでも店の隅の「絵本コーナー」に陳列されるのが関の山である。つまり「ある程度売れる」と書店に説明しなければ、西野程度の知名度ではダメなのである。売るためには店頭の目立つ所に平積みで置いてもらわないといけないのだ。

書店も商売である。売れそうにない本を店頭には置かない。それどこか陳列せずにそのまま返本する。本は再販制度で返本できるので、売れないと分かればどんどん返本する。当たり前である。店のスペースは限られており、全ての本を置くことが出来ないからだ。

だから西野はあえて自腹購入して販売実績をねつ造して粉飾したのである。そうすれば、出版社も書店に営業をかけるし、書店も特別扱いしてくれる。場合によっては「手書きポップ」なんてので宣伝もしてくれるかもしれない。

これが西野の戦略である。

確かに有効な戦略だとは考える、でもそれは邪道なのである。年賀はがきの発行枚数を維持するために、局員に自爆営業させるようなものである。確かに枚数はさばけた、でもそれは何の社会的意味を持たない数字なのである。皆が年賀状を出すために売れたわけじゃなくて、局員が泣きながら買い支えた数字なのだから。

西野はそれを自分の資金で自分の絵本でやったのである。

ゲスいと言うほかはない。炎上して当然である。つまり西野は承知の上で自爆営業したのだ。出版社や書店に「人気作家」と認知されるために。

逆に言えば「人気作家」と言う文化人ブランドが欲しかったから1万部で2000万円で手に入れたとも言える。そして「ブランドも金で買える」と考える発想も「金の奴隷」そのものである。その西野が「金の奴隷解放宣言」とは滑稽である。

クラウドファンディングの危うさ

西野はクラウドファンディングを使って資金を集めた。それは構わないが、要はそのやり方と内容が問題なのである。

ファンディングと言うのは資金調達と言う意味で要は元手で原資とも言われる。つまりこの場合は絵本の製作費である。そしてファンディングは出資でもあるの「資金を借りる」と言う行為である。つまり原則的には借金で元本は利子をつけて返さなければいけない。

もちろんそのファンドで始めた事業が失敗すれ損をするし、成功すれば得をする。投資なのである。

そしてクラウドファンディングがやり方が特殊で「必ずしも金で無くても良い」と言う特徴がある。西野の場合は「一口3千円で出来上がった絵本をもらえる」と言う感じである。そしてここからが曖昧でその絵本が「3千円の投資に対しての利子」なのか「絵本の代金の前払い」なのかも分からない。極めて不透明なのがクラウドファンディングなのである。

西野はクラウドファンディングに関して「活動に参加してもらうため」と言う寄付の一種だと考えているようだが、参加している以上その出資金の使い道は説明すべきだし、いい加減な使われ方してもらったら困るのである。

そこで1万部購入である。定価は2000円で計2000万円、じゃあ、その代金はどこから出したのか。西野の自腹なのか、それとも制作資金から捻出したのか?

製作資金からだと問題である。なぜならその資金は制作のために集めたのであって、自爆営業のために集めたわけじゃない。スタッフに十分な手当等出すための資金なのである。確かに西野の事業ではあるが、西野はあくまで資金の管理人であって、西野個人の金じゃない。西野個人の飲食や旅行に使ってはいけないのだ。それと同様に自爆営業も西野個人が自分の金でやるならいいが、制作資金を流用するのは問題だと考える。

誰だって自分の出資金が自爆営業の原資に使われたくはないだろう。

町内会だって集めた会費の使い道は報告する。

しかし、それに関しては西野は説明していない、少なくとも出資金の使途に関しては出資者に説明すべきである。そしてこの場合の「参加する」と言うのは「出資金の使われ方を見届ける」と言うのも含まれる。でないと参加した共感が得られないからだ。
自分の出資金が制作のどの部分に反映されたか知る事こそが「出資して良かった」と思う源泉なのだから。だからまたしてもゲスいのである。

金の奴隷解放宣言の危うさ

西野は自己の作品を実質無料公開した。それは、何ら問題は無い。宣伝のために行うことはよくある。

問題はその一方と「金の奴隷解放宣言」「糞ダセー」と言った経済思想的側面といっしょに語った事だ。

もちろん西野が共産思想的立場で「自己の作品の無料化」も問題は無い。金で買えない子供のために無料化した。結構なことだ。

問題は行為ではない。その過程に至る「思想の違い」が問題なの。

最近「ステマステルスマーケティング)」と言う宣伝方法が問題化している。所謂タレントに「愛用してます」と裏で金を渡しながら言わせて宣伝する。さもその商品が優秀であるが如く宣伝する。でも実態は金をもらったから宣伝してるだけなのである。

これがステマが避難される原因である。

西野は最初「これは買えない子供のため」と言う思想的側面を強調した。これはタレントが「これは広告じゃなくて本心で良い商品だから推薦した」と言う建前の部分。

その建前の部分に共感して、ファンや視聴者は商品を購入した。

しかし都合が悪くなって西野は「これは子供ためじゃなくて、販売戦略でやった」と言い始めた。それはタレントが「本当は良い商品じゃないけど、裏で金もらったから」と同じなのだ。

つまり「嘘をついた」のだ。問題はそこである。

無料化するのは問題はない。そしてその目的はなんでもいい。金のためでも信念でも何でもいい。でも嘘はいけない。

同様にステマも「宣伝」そのものが悪いわけではない。「嘘」が問題なのである。

このロジックを理解しないと本質は見えてこない。

西野は「ブラックジャックによろしく(以下ブラよろ)」を比較に出して、無料化を正当化する。

でも本質は全然異なるのである。別にブラよろは社会貢献で無料化とかを主張していない。純粋に広告のため、新規読者開拓のために無料化したのである。

そこには「嘘」は無いのである。だから誰も叩かないし、炎上もしない。

その違いである。だから読者は無料化に共感して購入したりはしない。純粋に面白ければ買うし、つまらなければ買わない。そのロジックだけで判断してるから問題はない。

同様に「社会貢献のため」に無料化してもかまわない。活動に共感して必要はないけどついでに商品を買う場合もある。ネットに行けば無料で見れるけど、一つの寄付感覚で購入してる場合もある。

言っておくがこれは全然違うロジックで動いている。だから比較にならんのだ。

西野はそれを一つのパッケージに入れたのが問題で、だから「嘘」になってしまうのである。同様にステマもファンや人々との「共感」や「信頼」を利用して宣伝して金に換える手法である。

「金の奴隷解放宣言」を言ってる人間のすることじゃない。西野はファンとの共感や信頼まで金に換えてるのだから。金の奴隷そのものである。

だから西野はゲスいのである。

業界に対する危うさ

西野は業界に対しても発言してる。

「でも結局売れたでしょ」と、これが新しいやり方だと。

そしてアマゾンランキングや重版決定を喧伝する。確かに一見そう思える側面もある。

ちょっと待て、西野は販売実績は粉飾するために自爆営業した男である。

その男の言うことは信じていいだろうか?、なんでも金に換える奴である。

確かにアマゾンランキングには西野の本は上位にいる。でもそこには自爆営業のような粉飾はないのか?

言っておくが、アマゾンがランキングを操作してるとは言っていない。断じてない。これだけは言っておく

単にアマゾンは売れた数をランキングにしてるだけである。確かに売れた事は売れたのであろう。しかしアマゾンからは誰でも買えるのである

要は今度は4000万でも用意してアマゾンから2万部購入すればいい。短期間でそれだけ売れる本はまず無いので当然上位に来る。そして、その結果を喧伝する。それだけでできる。1万部買った男である。やってやれない事ではない。

簡単に「自演」が出来てしまうのである。

つまりこの時点でアマゾンランキングの順位など意味がない。売れた証拠にならないのである。同様に発行部数とか重版決定も証拠にはならない。

出版社が公称発行部数を水増しするのは常態化している。本に限らず、新聞や雑誌もである。公称10万部発行といっても実際は7万部くらいしか発行しない。酷いのなると半分以下もあるそうだ。公称は出版社の自己申告なのでなんとでも言える。

そしてこれは「発行部数」である。
つまり売れた数ではない。「作った数」なのである。当然返本もある。

しかしそれを西野は「売れた証拠」とすり替えて喧伝する。

もちろん出版業界もそんな程度のことは知っている。ただ表立っては言えない。自社の公称に水増しがあるのを公表することにもなりかねないからだ。重版決定と言うのも単なる宣伝に過ぎない。重版したかどうかは出版社しか分からない事である。

つまり、公称部数や重版決定も実態は建前に過ぎないのに、そこを西野はすり替えているのである。

ここが西野のゲスい所である。

クリエイターに対しての危うさ

西野の一連の行為に対して「クリエイターのため」とも言っている。

じゃあ、クリエイターが宣伝のために自爆営業するのがクリエイターとしてあるべき姿なのか?

仮にそれが正しいとすると、出版社は「作品ではなくどれくらい自爆してくれるか?」を評価基準にして良いと言う事になる。つまり、より多く自爆してくれる創作物を重視する。結果的にはその方が損しないからだ。でもそれではクリエイターは報われない。

そして「駄作でも有名人だから売れる」と言う事になる。価値基準が作品より知名度になってしまうのである。クリエイターが創作より、知名度を上げる宣伝に力を入れるようになるのである。

それでいいのか?

そんな事はない。クリエイターは良い創作するため努力すべきである。しかも創作で金を稼ぐべき所が、逆に自爆営業で「創作のために金を払う」と言う事になってしまう。

それではプロのクリエイターが育つわけがない。続ければ続けるほど生活できなくなっていくのだから。辞めざるえない。

そんな未来がクリエイターのためとは到底思えない。

あとがぎ

本当は、創作の分業制とかもあるけど、この辺でいったん締めたいと思います。

実際最初の記事がこんなのだと、この先どうなるかの不安もありますが、自分のペースで書いていきたいと思います。

創作の分業制については、要望があれば書きたいと思います。

長文を読んでもらって、ありがとうございます。

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