読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鉄砲と種子島と硝石

 

dekunobou1025.hatenablog.com



大河ドラマで鉄砲のことを「種子島」と言っていていたのが気になって書いてみる。タイトルも「消された種子島」となっている。もちろん火縄銃のことなのだが、学校では「鉄砲伝来」とはもう教えないのだろうか?

ます鉄砲の語源である。これは元寇の時に蒙古軍が使った火薬兵器から来ている。こっちをあえて「てつはう」書く場合もあるが、これが語源である。この兵器もよく分かっていない。「火薬を使った」程度である。実際の殺傷力より「音に驚いた」そうだ。音響兵器だったみたいである。とくに馬は音に敏感な臆病な動物である。

なので西洋銃の前にその種の火薬兵器はあった。焙烙玉などもあり、村上水軍などでも使っていた。主に水軍の兵器で接弦して敵の船に放り込んだりしていたらしい。信長も水軍もこれにやられて負けた事がある。この対抗策として信長は「鉄甲船」を作ったとされている。木造船に鉄板を張って、延焼を防いだと言うが、不明な点も多い。

「火槍」と言う。応仁の乱の頃に日本でも使われていた。筒の先から玉を発射する。棒の先に括り付けたので「火槍」である。

f:id:dekunobou1025:20170515043953j:plain

www.youtube.com



種子島の火縄銃以前はこれを「鉄砲」と呼んでいる場合もあり、そうなるとかなり解釈が変わってくる。たしかにあの感覚だと命中率は期待できない。応仁の乱を経験している諸大名で評価が低いのも頷ける。実際にそののち廃れていった兵器である。なので火縄銃に興味をもたなかったとも考えられる。なまじ知っているので知識が邪魔をしたのである。

なので区別して最近では「種子島」と表記している訳である。

もちろん歴史的に見て、西洋銃が伝来したのは種子島が最初である。事実がそう変わっている訳ではない。ポルトガル人からと言うのも変わっていない。正確には「種子島銃」と言うらしい。その後、国友や堺に伝わった。

そして大河ドラマでも「その火縄銃を作る」と言う話である。ちょっと史実的には無理があるが、まあドラマなので、物語の都合だろうとは思う。その前の回は「綿を植える」って話らしいが。

でもって火縄銃である。もちろん日本で複製して生産した。銃身はわりに簡単に作れたらしい。火縄や着火の仕組みなんかも割と簡単に真似できた。外側から見ることもできるし、バネとかは当時の日本にもあった。応用で間に合わせができる。

苦労したのは、尾栓である。これが分からなかった。なので作ってもすぐ暴発する。当時の日本には「ネジ」そのものが無い。どうやって作っていいかも分からないのである。またどうしても銃身内部に火薬のカスや摩耗した銃身のカスが溜まる。それを分解掃除するためにも尾栓は必要になる。外して掃除したいのだ。

そしてらせん状に切った「ネジ」の概念は分っても、作り方となるとまた問題である。ピッタリと合うネジが作れない。雄ネジと雌ネジをどう合わせるかである。実を言うと当時の本当の製法は解明されていない。オスから作ったのか、メスからつくったのかも不明だ。

一応妥当な説としては、まず雄ネジをヤスリで削り出す。これは金属の棒をらせん状に丁寧に削るのである。そして、それにあった銃身を作る。銃身は単なる筒なので割と容易に作れる。そして片方を熱して柔らかくする。そこに、作っておいた。雄ネジを入れるのである。木ネジのように雄ネジは銃身に入っていく。そして完全に入ったら柔らかい銃身の周りを叩いて「跡を付ける」のだ。冷めると跡が残り雌ネジの完成である。なのでオスもメスも一点ものだ。違うネジだとあわない。指紋みたいな感じだからね。

この方法が一番合理的で簡単なので通説になっている。

そして銃器なので火薬の問題がある。火薬が無ければ使えない。しかしその製法は秘伝である。山伏など知っていたとも言われている。仮に知っていても硝石の問題が大きかった。

硝石は天然資源である。日本では硝石が取れない。鉱山がないのだ。当時も輸入に頼っていた。信長も堺からの輸入である。ちなみに硝石は南米チリの鉱山が有名である。第一次世界大戦以前は多くはチリの鉱山に頼っていた。

硝石はアンモニアで作られる。なので鉱山の無い日本では「古い馬小屋の土」から硝石を採取したこともある。馬の糞尿が土中の微生物で分解されて硝石となるのだ。土硝方など使って作る方法もあったが、これも蚕の糞などを土に埋めて、分解させて残土から硝石を抽出する方法で、生産量にも限りがあった。長篠の合戦の時に信長は「一丁あたり300発」とか書いてあるけど、これは通達で、努力目標みたいなものである。「用意するように」と言うスローガンみたいなものだ。

かように貴重な硝石であったが、大きく変わるのは第一次世界大戦である。それは「アンモニアの人工合成」が可能になったからだ。

アンモニアの化学式はNH3である。Nは窒素、Hは水素である。それは以前から分かっていた。そして大気の主成分は窒素で約8割、酸素が2割程度で残りは二酸化炭素などである。その窒素と水素があれば、原理上アンモニアは生成できる。水素は水を電気分解すれば作れる。私も中学生のとき実験で水の電気分解はやった事がある。

後は大気中の窒素を化合させるだけだが、この方法が分からなかった。各国はその方法を研究していた。実用化したのはドイツである。フリッツハーバーと言う科学者で、もちろんノーベル賞も受賞している。アンモニアは肥料の原料にもなるからだ。こうしてできた化学肥料は世界で爆発的に普及した。空気と水から肥料が作れるのだから大量に使用した。副作用として土壌汚染もあるけどね。

そして、これによって無限に弾薬が供給できるようになる。これが塹壕戦と機関銃の恐怖となった。無限に弾薬が使えるから、打ち続けても玉切れになること無い。大砲もである。長時間は砲撃しても尽きることがない。空気と水で火薬は作れるのだから。当時のドイツでは「ドイツ人の汗で火薬は出来ている」と国民を鼓舞して生産した。総力戦の概念が確立したのも、第一次世界大戦からである。「それは火薬が尽きることがない」からである。その気になれば永遠に戦争ができる世界になってしまったのだ。

そしてその機関銃の網を突破するために、数万人規模の犠牲者が出るようになる。日露戦争二百三高地のような被害が日常になった。戦線は膠着して数メートル前進するだけで大量の兵士が数丁の機関銃で全滅する。このような戦争はかつてなかった。そしてこの戦争が終って欧州各国は国際連盟を作るのである。

第一次世界大戦と言うと、どうしても、戦車や飛行機などの派手な兵器や、毒ガスなどが語られる事が多い。まあ毒ガスついてはハーバーが関係しているのであるが。こうした事に目を奪われがちだ。しかしその視点は、実はミリオタっぽい視点である。戦争は衣食住から、情報、通信、思想や芸術も含まれる。兵器だけでは語れないのだ。

そして一番の変化は「アンモニアの人口合成」である。これによって世界は変わった。現代戦でも弾薬は不可欠である。アメリカも銃社会も、弾薬な無ければ成り立たない。安価で、大量の弾薬が出回る社会だから、大量の銃が存在できるのだ。それは大量の火薬が生産できるからであって、それはハーバーの「空中窒素固定法」から始まったのだ。そして、大量の化学肥料が世界の人口を支えている側面もある。

世界が変わると言うのはこう言うことなのだろう。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んでくださって、ありがとうございました。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村