関ヶ原と井伊直政

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たまには歴史関係も書きたくなった。

映画「関ヶ原」が公開中である。そして大河ドラマ井伊直虎で養子の井伊直政関ヶ原にも参戦している。まあそれに乗っかって書いてみたい。

関ヶ原での井伊直政のエピソードとしては「抜け駆け」がある。通説だと関ヶ原の東軍の先鋒は福島正則だった。しかし抜け駆けして先に井伊直政が西軍に攻撃を仕掛けた。そして9月15日の朝の決戦が開始されるのである。

もちろん抜け駆けは軍規違反である。必ず喧嘩になるからだ。合戦にも作戦がある。段取りが重要だ。予備として待機していた部隊が勝手に前線で戦闘したら、作戦が滅茶苦茶である。だからそれを決めるが軍議で、先鋒や後詰(予備)などを決める。なので先鋒が仕掛けるまで先端は開かれない。他の部隊も待機しているからだ。

そして関ヶ原の東軍の先鋒は福島正則である。それを違反して勝手に戦闘を始めたが井伊直政である。偵察と称して前線に出て、そのまま突撃した。もちろん福島は了解していない。

この抜け駆けの解釈は「井伊直政が先鋒をやりたかった」と言う説が有力だ。一番槍は手柄である。それが欲しかったと言うが定説である。だからこそ軍規で規定して喧嘩にならないようにしている。それを井伊直政は違反した。ちょっと不可解だ。井伊直政だって私利私欲で先鋒が出来ない事は知っている。だからこそ「抜け駆け禁止」とで軍規に書いてあるのだ。そんな我儘な武将が出世できるはずがない。動機はそこにはないだろう。

ちなみに合戦で重要なのが「いつ先端を切るのか」である。将棋でも駒組をして、いつ駒をぶつけて先端を開くかが重要だ。駒組までが「序盤」で駒がぶつかったら「中盤」となる。延々陣形をお互いに変えるような展開は持久戦で、すぐに駒を交換するような展開は急戦だ。なので開戦のタイミングはとても重要になる。相手の陣形の隙をついて開戦する。合戦でそれを図るのが先鋒だ。

もちろん大体の開戦の段取りは決まっているが。細かい所は当日の現場判断だ。それは何も合戦に限らない。犯罪で、犯人が人質を取って立てこもっているような場合、突入のタイミングは重要だ。後方の本部で作戦は立てるが、実際の突入の判断は現場である。その現場で先頭に立つのが合戦では先鋒だ。つまり福島正則の判断に委ねられている。相手に隙が無ければ突入はできない。後方の本部はいらいらするが、失敗すると分かっていて突撃はできないのだ。

そして関ヶ原は色々が政治的思惑の多い合戦である。西軍の毛利が日和見して戦闘しなかった。小早川秀秋の裏切りは有名だ。もちろん当日も石田三成は使者を送って催促したが適当な理由を付けて引き延ばしていた。戦闘に参加する気がなかったのである。なので必ず段取り通り部隊が動くとは限らない。

それは東軍も同じである。福島正則は家康の直臣ではない。豊臣恩顧の武将だ。三成憎しで東軍に参加しているが、西軍にも豊臣恩顧の同僚はいる。政治的思惑が強いのだ。

そして、実際にもそうだ。合戦をすると言っても、必ず9月15日に決着をつけないといけない訳でない。にらみ合いの持久戦になる事も多い。実際関ヶ原が一日で勝敗が付くとは思っていなかったようだ。黒田如水など「どうせにらみ合いになる」と読んで九州の西軍の城を切り取っていった。戦後の論功行賞に影響するからだ。なので息子の黒田長政に「なんで引き延ばさなかった」と怒ったらしい。どうせ手伝い戦だから本気で戦うなと言う意味だ。それより持久戦にして、恩賞条件をつりあげたいと思っていた。持久戦になった例は多い。賤ケ岳だって、小牧長久手だって対峙が続いた。川中島だって第二回は200日の持久戦になって、今川が仲介した。稲の刈り入れで撤退しないといけないからだ。関ヶ原もそうならないとも限らない。

一見、東軍は団結していたように見えるが、決してそうではない。先発して清州に集結した福島らの豊臣恩顧の武将は、当然すぐ家康が清州に来ると思っていた。でも家康は会津が気になって江戸に留まっていた。秀忠の別動隊は上田城でくぎ付けだ。家康の本意を図りかねていた。本当に家康は来るのか?と。そして自力で岐阜城を落として、家康に上洛を迫ったのだ。そして家康も重い腰を上げる事になる。双方ともに腹の探り合いをしていたのだ。

当日の早朝は霧が出ていて、晴れたら開始との事だったが、実際の判断は福島である。そして福島がちゃんと先鋒をやるとは限らないのだ。「まだ仕掛けるのは早い」と躊躇したら、全軍は動かない。「抜け駆け禁止」である。あくまで福島が始めないと他の部隊は動けない。それが軍規である。ずるずると伸ばされて昼前後になったら合戦中止だ。日没になったら一旦中断である。中途半端になる。だったら延期した方が良い。西軍の毛利が日和見したように、東軍の福島が日和見する可能性もあったのだ。

そこに井伊直政の意図がある。福島に日和見させないためには、誰かが「抜け駆け」しなければいけない。戦闘が始まってしまえば、後は全軍参加だ。プロ野球の乱闘だって、全員参加しないと罰金である。それと同じだ。集団的自衛権だって、隣の友軍が攻撃されたら、参加しないわけにはいかない。三成もそれを想定して布陣しているが。関ヶ原で合戦となれば、毛利や小早川も参加するだろうと考えていた。

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家康の勝つチャンスはここしかなかった。結果に関係なく一日で勝敗を付けたかったのだ。持久戦になったら東軍は確実に不利になる。井伊直政は腹心の直臣だ。福島が日和見するようなら「抜け駆けして始めてしまえ」と。もちろん直政は結果オーライで処罰されていない。

実際には井伊直政が抜け駆けして、合戦は一日で東軍の勝利となった。もちろん偶発的な戦闘であっても、後はなし崩し的に拡大する。満州事変も盧溝橋も、些細な戦闘から拡大した。それが戦争の怖い所である。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さってありがとうございます。

 

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