直政と家康と東尾修

 

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今年も大河ドラマ井伊直政が仕官して、これから出世物語になっていく。ドラマでは草履番から始めた事になっているが、多分脚色であろう。秀吉のエピソードを流用しただけに違いない。何しろ記録が無い。秀吉のエピソードだって所詮逸話である。秀吉だって草履番だったかは疑わしいのだ。逸話では信長に仕える前は今川に仕官している。これも確証が無い。大体逸話などそんなものだ。だから脚色の幅もできるのだけど。

でもって、直政は仕官するのだが、これは企業で言えば一般採用である。当初は「松下の家名」として縁故採用組だったが、井伊なので一般入試組である。なので最初は草履番と言った一般職なわけだ。所謂「小姓と言ったキャリア組」ではない。それは縁故採用だからなれる。

そして、武家社会にも必ず門閥がある。そして血縁関係を重視する。よく戦国の主従関係「息子を人質」と言うのがあるが、出す方もあながち悪い話でもない。その主家の門閥に入るのだ。そして幼少の頃から英才教育を受ける。家康だって今川家で英才教育を受けた。もちろん義元が桶狭間で戦死しなかったら、今川家の重臣となっていただろう。実際一軍を任されていたからね。なので小姓と言うのは仕官してすぐ成れるものではない。直江兼続だって上杉景勝の学友である。7歳で親元から離れて上杉家で暮らす。ちなみに「子供店長」の加藤清史郎は大河ドラマで有名になった。幼少期の直江兼続を演じていたからだ。

そうして景勝の学友だったから、景勝が当主になってからは重臣である。信頼できるからね。なので人質とか養子を出すのは「ゆくゆくは重臣にする」からである。社長の娘と結婚して婿養子に入るようなものだ。もちろん結婚する男にも野心がある。コネで出世が約束されるからね。戦国時代も同じである。下剋上と言っても前提には地縁、血縁がある。それは見失ってはいけない。

なので、最初の直政もそんな者だろう。期待されていなかった。ドラマでは家康が「見どころがある」なんて言っているが、あれは脚色だ。ドラマのメインですからね。そんな事は無い。ただ平の草履番程度の認識だろうね。

もちろん、その直政が出世するのにも理由がある。それは「人材が無かった」からだ。一般的に家康は家中が団結しているように書かれるがそんな事はない。それは後世がそう見せただけだ。

まず直政が仕官した当時の家康の状況である。三河から遠江に侵攻して遠江の旧今川家臣団の取り込みをしているころだ。その過程であぶれていた井伊にも目を付けたのだろう。それは武田滅亡後にも甲斐の武田の取り込み腐心したのと同じだ。地縁のある家臣が欲しいのだ。

そして少し前に三方ヶ原の大敗がある。あの合戦で多くの家臣が戦死した。援軍に来た信長の先発隊の武将も戦死する激戦だ。なので人材がいない。戦に強い家臣は大敗で戦死してしまったからね。そこに直政の出世の理由がある。単にいなかったから使ったのだ。

そして家康にも分裂騒動や内紛はあった。有名なのは信康事件だ。これは家康の後継者の信康が「勝頼と内通した嫌疑」で信康が自刃した事件である。もちろん信康にも派閥がある。

当時は信康は岡崎にいた。家康は遠江の浜松である。領国支配を安定させるためである。そして浜松には新参者の遠江の家臣団が仕切り、岡崎には三河の古参の家臣が若い信康の支えていた。その亀裂が遠因にあると言われてる。岡崎衆と遠江衆の派閥闘争で、岡崎衆は信康は擁立して政権奪取を画策したのだ。織田と松平は仲は悪いからね。信秀時代からの遺恨がある。古参だからその頃を知っている。桶狭間の生き残りもいるからね。

信康事件で家康はそれを粛清した。当然三河譜代の古参が多いから主力がごっそり粛清された。スターリンの粛清みたいなものだ。帝政ロシアの旧将校を粛清したから、ろくな将校しかいない。優秀な奴は粛清しちまったからね。なので若くで多少は使えるようになってきた直政が「徳川四天王」なんてのになるわけである。人材がいないからね。

それでも本能寺の頃になると多少は人材も良くなるが、武田の家臣団取り込んだりしているからね。だから小牧長久手では局地的には勝利する事も出来た。でも今度は秀吉の謀略を仕掛ける。「石川数正の出奔」である。脱走して秀吉に買収された。

石川数正は家康の重臣の一人である。ナンバー2とも言われる人物である。当時家康は秀吉と停戦はしていたが、講和はしていない。内部でも「帰順すべき」と「徹底抗戦」に分かれていた。数正は帰順派だったらしい。なので単身秀吉に乗り込んで和平交渉するために敢えて出奔したとも言われている。

でも家康にとっては大打撃だ。政党の内部情報知っている幹事長が離党しちゃったような話である。最近ではどっかの党にあったような話である。下手をすれば分裂だ。それで家康は数正の関係者を粛清した。勝手に出奔したんだから当然である。そして徳川の内部情報が秀吉にバレバレですから。そのあたりから武田の編制を勉強したりして軍制改革もする家康である。「正捕手がFA宣言して移籍したから、サインを全部変える」ような事だ。変えないとバレバレですからね。

似たような話に東尾修と言う投手がいる。名球会に所属する大投手である。彼はドラフト一位でライオンズに入団したが、初めから期待された訳では無い。ドラフト一位で入ったものの、二軍でも打たれていた。本人も「プロでは通用しない」と感じていたらしい。

でもそのライオンズに事件が起きる。「黒い霧」事件だ。ライオンズの主力選手が野球賭博に関与した疑惑で永久追放になった。主力がごっそり抜けたのだ。当然先発がいない。東尾修にももう一度チャンスがめぐって来る。とにかくドラフト一位で取った新人だ。投げてもらわないといけない。多少負けても一軍で使ってもらえた。東尾修自身「あの事件で使ってもらえた」と言っている。そして経験を積んで大投手になった。でも最初から期待された訳ではない。たまたま人材が不足していただけだ。そしてプロ野球でも「主力が抜けたときは若手台頭のチャンス」とよく言われる。

かように井伊直政の出世には家康の人材難がある。もちろん直政が「岡崎衆でなく家康の子飼」だったからでもあるが、それはまたいずれ書く事にする。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さって、ありがとうございました。

 

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