タクシードライバー


映画の話である。先日NHKで「タクシードライバー」をやっていたので見ただけであるが、書いてみる。

作品に関しては多くは要らないだろう。名作でもあるし、数多くの賞も取っている。恥ずかしながら今まで見ていなかった私である。なのでいい機会なので見た。NHKなのでよもやカットをしていないと思うが。民放だとカットされる場合もあるが。

1976年の作品なのでベトナム戦争直後のアメリカの映画である。なので色々社会背景などがあり、感想を語るだけでも大変な作品である。ネットにも多くの感想や評価があるので、私ごときが語ってもいいかな?程度でもあるが。息抜きに書きたくなった。

でもって感想であるが、明らかに娯楽映画では無いので、難解で退屈な映画であるのは致し方ない。ひどく疲れる映画である。感想にも「よく分からん」と言う記事も多い。確かに散文的な内容なのでよく分からない。主人公の動機や行動が「孤独」とか「狂気」をもとにしているのでなおさらである。しかし流石に「名作」と言われるだけあって、疲れるだけのもとは取れた作品である。

主人公の行動を一言で言えば「歪んだ正義感」である。暗殺もそうだし、売春宿に乗り込んだのもそうだ。社会的常識で見れば「狂気」だが、本人はまともである。主人公の犯罪動機は「相模原障害者施設殺傷事件」の行動原理に近い。犯人は「腐った社会を変える」と言う「歪んだ正義感」が根底にある。相模原障害者施設殺傷事件も犯人は最初衆議院議長に手紙をもって行った。ちょっと間違えれば犯行に及ぶかもしれない。映画では大統領選の候補者の暗殺を企てるが失敗する。その後12歳の家出少女を解放してマスコミの注目を浴びる事になるのだが。

作品の背景にはベトナム帰還兵の問題とか公民権運動とか当時のアメリカの社会情勢の影響がある。主人公はベトナム帰還兵だが、安定した職もなく、タクシードライバーでしのいでいる。ベトナムで国のために戦ったが、帰還したらクズ同然の扱いだ。その不満がある。これは「ランボー」の第一作でも描かれている。ランボーベトナム帰還兵である。しかし帰還しても定職もない。そして旅先の町でよそ者扱いされて迫害されてキレる。ラストで元上官が説得に来て「どうしてこうなった」とランボ-が泣く。ベトナム帰還兵の悲劇の映画である。

ベトナム戦争はアメリカにとってはおかしな戦争でもある。狂気の戦争だ。元々ベトナムはフランスの植民地だ。アメリカとは縁のない戦争である。ベトナム独立戦争はフランスとベトナムでの戦争だ。フランスの援助にアメリカが介入した。北ベトナムには共産圏のソビエトと中国だけど。そもそも介入の大義がおかしいのだ。だから泥沼になって反戦運動が盛り上がった。そこにも帰還兵の悲劇がある。帰還しても全く尊敬されない。侮辱される。そのあたりは映画「ハンバーガヒル」にも描かれている。任期を終えて帰還したら、反戦運動で家では「アイラブベトコン」とか書いてあるTシャツ着た妻が間男といた。そんな家に帰りたくもない。そんなアメリカにいたくないから、もう一度ベトナムに来たと言う。ここならまだ生きている実感がある。とか言うシーンもあった。なんとも言えないシーンだ。映画だけどリアルがある。そりゃあ「歪んだ正義感」にもなるってもんだ。命をかけて星条旗の為に戦ってたのに、町をみればひどい有様である。薬物と売春と犯罪に満ちている。狂乱の70年代のアメリカ社会である。映画でもベトナム撤退の直後で「一部の悪い政治家の始めた戦争」とか騒いでいる。付き合わされて戦った兵隊は切り捨てられた。この不条理がリアルだから名作となったのだ。

主人公はその社会の中で「正しい光」のようなものを追い求める。最初は恋をしたベッツィーである。金髪で美人で清純な雰囲気をもった女性だ。その清純な雰囲気に「光」を感じたのだ。清純アイドル抱く、ファン心理のようなものだ。失恋して逆上するのも純粋すぎたからである。

暗殺計画も、口先だけの政治家に対する嫌悪から来ている。お前ら政治家が勝手に始めた戦争だろ。被害者は帰還兵の俺たちだ。責任は棚に上げて大統領候補かよ。である。こんなクズは浄化すべきた。と言う「歪んだ正義感」がそこにある。そして主人公が白人男性と言うのも「公民権運動」で切り捨てられた白人の貧民層の行き場のない不満が背景にある。それもリアルなアメリカを投影してるから名作になったのだ。主人公の目からみれば「公民権運動もクズの口先だけの運動」にすぎない。本気で「公民権運動で白人は職を失った」と思っている白人は多いのだ。それは現在のトランプ大統領の発言にも見て取れる。支持者は白人の貧民層が多い。主人公のような層である。

主人公のモヒカンもベトナム戦争で米兵が決死に作戦をする前にしたそうである。愛国心で戦った証である。もちろんそれで犯行を決行するのである。主人公の「歪んだ正義感」では「天誅」である。解説などでは「浄化作戦」と言うらしい。売春宿に乗り込んだのも、少女に売春させている男を浄化するためでもあろう。もちろん犯罪だ。

そして、少女を解放して、気が付いたら犯罪者でなく英雄に祭り上げられていた。マスゴミである。少女の家族からお礼の手紙が来る。無論主人公の意思とは無関係だ。こうしてマスコミで話題となった主人公とベッツィーが再会する。ベッツィーが会いに来たのだ。付き合おうと言う意図らしい。今度は主人公が振って意味深なエンディングだ。

ラストの解釈も色々あるらしい。ベッツィーが会いに来た意図も不明確だ。単に話題に来た主人公に会いに来たのか?そのような解釈が多い。でも私は違うと思う。

ベッツィーの意図は大統領選の話題づくりだ。主人公は大統領候補とも作中で面識がある。その時も選挙の話をしている。話題になった主人公を利用して票につなげたい。だから好意のあったベッツィーを美人局に使ったのだ。もちろん主人公は冷静に見ている。選挙事務所で追い出されてた恨みは憶えている。それが人気者になったら手のひら返しだ。クズである。暗殺を計画した相手でも票になると思えば政治家は寄って来るのだ。でなければベッツィーは会いに来たりしない。やって来るベッツィーもクズだ。

こんな女はかつて恋した女性ではもうない。清純で欲望にまみれていないから好きになったのだ。票のためなら売春までするかもしれないベッツィーなんかもう好きでもなんでもない。むしろ浄化の対象だ。それが「意味深な目つき」に表れている。狂気であるが、理屈のある「歪んだ正義感」である。ベッツィーが愛しているのは主人公ではない。彼が持っている話題性と票なのだ。

拙い感想を語ってみたが、疲れる映画ではあるが、それくらい語りたくなる作品である。わりと引いた「現代社会の孤独」みたいな分析が多いが、散文的だが、直接的でリアルな作品である。痛いくらいの孤独が感じ取れる。愛国心とアメリカの美徳を守る為にベトナムに行ったのに、それが帰還したら幻想で嘘だらけだからね。こんなクズと腐ったアメリカの為に死線を賭けた訳でもない。仲間も死んだ訳でもない。おかしくなって孤独にもなろうかってもんだ。その上自分たちがしてきた戦争が「敗戦」「悪い戦争」と侮辱されてるわけだから。もちろん定職にもつけない。社会から切り捨てられた孤独がそこにある。だれも受け入れてはくれんのだ。

つい気持ちが入るのは、その孤独とやるせなさが私には痛いからだ。

難解だし疲れる映画だが、見て良かった思う作品である。流石に賞を取るだけのことはある名作であろう。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さってありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村