宮崎駿と堀越二郎

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宮崎駿の新作の長編アニメのタイトルが「君たちはどう生きるか」になると言う話である。「風立ちぬ」で長編アニメから完全引退を宣言した宮崎であるが、またしても撤回したのは周知のである。最近アニメについて書いていなかったので、良い機会なので書いてみたくなった。

私はミリオタでもあったし、アニメも見ていたので「風立ちぬ」については語りたかったのだが、時期を逸していた。それもある。

でもって「風立ちぬ」についてだが、よく知られているので内容は説明不要だろう。零戦を設計した堀越二郎の逸話と小説「風立ちぬ」を合わせたアニメである。なので完全な堀越二郎の伝記ではない。小説の脚色が入っている。堀越自身はタバコは吸わなかったと言う。これは話題にもなったが、宮崎の脚色である。知っている所だと「ゴルフが大好き」で休み時間もクラブを振っていた。字が独特であると言う。ちなみに妻はもちろん生きている。だからそこは小説「風立ちぬ」からの脚色だ。

作品では七試艦上戦闘機九試単座戦闘機(九六式艦上戦闘機)。最後にちょっとだけ出る飛行機が零戦である。零戦は十二試艦上戦闘機である。なので零戦の開発秘話の話ではない。七試と九試の設計の話である。最初に空中分解して墜落するのが七試だ。これは「採用なし」となった。所謂「全て不合格」である。ライバルの中島飛行機の試作機も不採用である。そして九試の計画が立ち上がるのだ。

そして九試の時「単座戦闘機」となっているのにも訳がある。当時の空母の滑走路は短かった。離陸するにはどうしても複葉機にして性能を落とすしかない。そこで当時本部長だった山本五十六が「空母を改造するから滑走路の制約は気にするな」と敢えて「単座戦闘機」したのだ。「艦上」と書いてないから空母の制約は無いと言う意味だ。そして速度と上昇力に重点を置いた仕様にした。ちなみこれを堀越二郎は誉めている。性能の良い戦闘機が設計できるからね。

 

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それもあって、九試は採用されるのだが、あの単葉機の設計が成功したのも七試の失敗があったからだ。だから似ているがちょっと違う。それ以外にもエンジンとか強いアルミの開発とかあるけどね。作中にも「H鋼の押し出し部材に喜ぶシーン」がある。強度を強く出来るからその分軽く設計できる。脆弱なエンジンでは軽くするのが至上命題だ。だからギリギリまで強度計算してぜい肉をと取った。これは零戦も同様である。その分強度計算をする計算班は地獄だったけどね。それを担当したのが曽根嘉年と言う男だ。九試単戦の時に配属されて、そのあとずっと副主務者でコンビを組む。この男がいなかったら設計できていないだろう。ちなみに映画「零戦燃ゆ」では割と扱いが大きい。「零戦燃ゆ」は柳田邦男のノンフィクションが原作の映画である。

ちなみにエンジンは中島製である。これは九試も零戦も中島製である。当時エンジンは中島製が優秀で九試の設計段階で「三菱のエンジンはダメだから中島製を載せたい」と上層部に頼み込んだ。車体は自社設計だけどエンジンはスバルみたいな話だ。当然エンジン開発部は怒ったけどね。そんな困難を乗り越えて九試は誕生するのだ。

だからそもそも防弾と言う発想がない。これは堀越自身も認めている「仕様に書いてない」からだ。速度とか航続距離の仕様があったけど、防弾の規定は書いていない。与えられたリソースで高性能追及するなら軽くするしかないから、防弾は削った。開発者は常に仕様ありきだから、そうする。それが敗戦のあとに「人命軽視」と批判されたのだ。これはなにも零戦に限らない。一式陸攻なんかも防弾無視だ。「良く燃える」と米軍に言われた。

作品では堀越と宮崎を重ね合わせているところもある。タバコ出したのは宮崎が愛煙家だからと言う。設計とアニメ制作を重ねているとも。なので主人公堀越は宮崎の人生を投影したものでもある。何か共感する所があったのだろうね。

その仮定に基づいて語ってみる。宮崎は左翼とか反戦とか言われている作家である。それはそうだと思うのだが、それと堀越を重ねるのはどうかと思う。それ以前の考察だ。堀越が「反戦」とか考えていたとは到底思えない。

そもそも最初から飛行機がやりたかった訳でもない。それは柳田邦男のノンフィクションにも書いてある。たまたま飛行機が新しくて、三菱に入社したら「戦闘機の設計やれ」で担当になっただけだ。あんな夢は持っていない。アニメしか見ていないとついそう思ってしまうだろうが。

でも男子が一度入社して始めたら本懐を遂げるのが男の生き方だ。戦闘機を作るなら世界一の設計を目指したい。そして当時日本の飛行機のレベルは低かった。それはアニメでも描かれている。開発者としてこんなに恥ずかしい事はない。事業仕分けで「二位じゃいけないんですか?」と蓮舫はいったけど、明確に「いけない」のだ。開発者の夢は「最高の設計」なのだからね。F1に黎明期から挑戦していたホンダに「二位じゃいけないんですか?」と言ったら本田宗一郎に殴れてれも致し方ない。一位になるためにレースしているのだ。そんな負け犬はクビである。そこには反戦とか全く無いのだ。国のためとかの意識もない。ただ設計者として勝ちたいのだ。「日本の戦闘機は三流」とか言われてるんだからね。

私はそう言う意識が宮崎もあると思っている。日本のアニメがまだ「二流」と言われた時代だ。ディズニー至上主義である。もちろんアカデミー賞もアニメはディズニーだ。これは今でもそう変わっていない。要は日本のアニメはディズニーからバカにされているのだ。アニメ制作者が忸怩たる思いをしない訳がない。これは日本人で物を作る人間なら誰でも分かると思う。宮崎がディズニーを影響を受けながら「ディズニー嫌い」なのはそのせいである。悔しいのだ。あんなに「ぬるぬる動く」動画で作品にしたいのだ。そして勝ちたいのだ。だから宮崎は「アニメは動いてナンボ」と言う。そう言う思いを持ったアニメ作家は多い。あのディズニーの湯水ごとく予算を使って動かす動画に憧れも持ちつつも悔しくてたまらない。それがどことなく堀越の悔しさと重なるのだ。もっと良いエンジンと工業技術があれば、防弾を削らなくても勝てるのだ。つまり堀越も宮崎も「物づくりとしての意地」の戦いをしていたのだ。

そうして、九試は当時世界最高の戦闘機となる。なんとなくそれが宮崎の「アカデミー賞受賞」と重なるのだ。ディズニーの押しのけたのだ。日本のアニメの実力を見せつけて認めさせたのだ。勝ったのである。これは何もアニメに限らない。絵画にしても音楽にしても同様だ。文学だって「ノーベル賞」を取れば大騒ぎである。日本文学が世界に認められたと大騒ぎである。誰だって認められたい。どんな反戦文学作家だって同じだ。メジャーに野球選手だって、サッカーだってそうだ。料理人の世界だって「日本人でも一流の西洋料理が作れる」と認めさせるために奮闘したのだ。晩さん会でバカにされるからね。「日本人は料理も満足に作れない」と言われたら国辱だ。

だから日本人に愛国心ないとはとても思えない。むしろ愛国心が強すぎて「少し抑えた方が良い」と思うくらいだ。日本人である以上外国からバカにされるのが我慢できない。宮崎も同じだと思うけどね。そこには俗世間的な愛国とか反日なんて関係ないのだ。

そして賞を取った宮崎と世界を代表する戦闘機設計した堀越だが、持ち上げるのも日本人だ。宮崎は「アニメ神様」で堀越は「戦闘機なら堀越」である。設計の神様にしてしまった。だから零戦の時はもう才能はボロボロだ。晩年の宮崎の作家しての才能もボロボロ言われる。でも神様になっちまったから辞められない。続けるしかないのだ。それはジブリの迷走を見れば分かるだろう。神様にして頼ったからそうなったのだ。だから「風立ちぬ」で零戦の設計秘話は語られない。もう堀越の才能は枯渇していたのだ。低翼単葉ももう実用化されている。技術的なイノベーションも無い。既存の技術を如何に洗練させるかである。そうして出来たのが零戦だ。だから宮崎はその開発は描きたくなかったのだろう。才能が枯渇した堀越は、宮崎のその後でもある。そんなの誰だって描きたくない。惨めだからだ。

そうして日本は太平洋戦争に突入する。零戦の性能も限界に来て、改良と改修の毎日である。堀越はそれに追われるように仕事した。アニメで「滅茶苦茶だった」と言うセリフは当時の堀越の激務である。戦前ではありえない仕事量だ。零戦の改修設計をしながら局地戦闘機雷電」の設計をして、そのあと「烈風」の設計もした。もちろん掛け持ちだ。神様だから許しちゃくれない。三菱の戦闘機は堀越が設計責任者なのだ。晩年の宮崎のアニメ制作に重なるのだ。「滅茶苦茶だった」が宮崎の言葉に思えるのだ。ジブリは宮崎作品で支えていたからだ。

そして終戦である。日本は無条件降伏して武装解除する。戦闘機も作れない。堀越は設計の激務から解放されるのだ。あのラストは宮崎のアニメ作家の終戦だったのだ。だから自分の作品で泣いたのだ。そうとしか思えない。

こんな事を思いながら、映画館で見た私である。どことなくすべての画に既視感がある。飛行シーンも「未来少年コナン」や「風の谷のナウシカ」に感じる。洗練されているがイノベーションとは違うのだ。それが感じ取れただけでも私には劇場に行った価値はあった。「ああ、宮崎駿終戦なんだな」と感じたからである。

その後の堀越は設計から引退するが、10年後復帰する。戦後の日本製旅客機「YS11」の設計に携わる。これが堀越の最後の設計する飛行機である。これもなんとなく宮崎の復帰と重なるのだ。

主観が入りすぎて暴走気味だが、感想とこういうものだと思ってください。

この辺で締めたいと思います。

長文をよんで下さってありがとうございます。

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