相撲と信長

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何やら横綱日馬富士が傷害事件を起こしたらしい。

モンゴル力士の飲み会の席上で暴れたそうで、芸能ニュースもそればかりである。相撲関係のこの手の暴行事件も多いが、いささか食傷気味でもある。被害届も受理されており、後は司法の捜査に任せるべき問題だ。マスコミの報道もいつものノリで「横綱の品格」とか「相撲道」とか、訳の分からない報道っぷりである。こう言う主観的な報道は枚挙にいとまがないのでどうでも良い私である。ちょっと前は「白鳳の張り手は卑怯」とか?でもってかつては同じ暴行事件でも「これはかわいがりだ」と言う報道もあった。暴行して力士が死亡した事件もあるが「かわいがり」と言っていた。なのでさっぱり分からない私だ。

それで相撲と信長との関係について書きたくなった。ちなみ相撲と言っても色々ある。日馬富士はモンゴル出身だが、モンゴルにも相撲がある。世界各国に相撲のような格闘技がある。西洋ならレスリングだろうか?

しかし細かい所に違いはある。モンゴル相撲には土俵がない。リングアウトがないのだ。広い草原で行うからだが。ちなみに場外負けがある格闘技は日本相撲くらいである。柔道も場外は減点ではあるが、負けではない。ボクシングなどはロープを張って逃げられないようにしている。微妙な違いがあるのだ。

でもってその土俵であるが、作ったのは信長と言われている。相撲は古来から行われているので古事記にも記述がある。なので神事とも言われているのだ。その頃は土俵は無かったらしい。

その土俵を作ったのが信長と言われている。信長は相撲が好きでよく相撲大会をして観戦していたそうだ。そして相撲の土俵の上にある「吊り屋根」にある家紋は信長からと言われている。京で天皇を呼んで試合した。天覧試合である。主催が信長だから家紋が入っている。その時からと言われている。もちろん土俵もここからである。今の相撲の原型は信長の頃に成立している。行事も信長が採用したらしい。各地の力自慢を武士として取り立てた。この頃から「力士は士分」ととなる。江戸時代は各地の藩から力士が士分として相撲部屋に入った。なので現在でも「出身地を言う」のはそのなごりである。藩のお抱えで、地方代表なのだ。現在でも力士となれば後援会とかタニマチとかできる。相撲好きの社長とかがスポンサーになる。それも江戸時代からのなごりのようなものだ。

もちろん力士は士分である。町人ではない。ちなみに幕末の新選組は大阪で力士と喧嘩をしている。橋を渡る時に力士が譲らなかったからだそうだ。力士は武士である。浪人くずれの新選組なんぞに譲るいわれはない。新選組にもメンツがある。こうなるともう喧嘩である。ヤンキーの「ガンつけた」とか「メンタン切った」とかで乱闘だ。死者も出たそうである。

もちろん力士は「十両」以上である。それは江戸になって番付ができたからだ。給料が十両だからとか諸説ある。もちろん今でも十両にならないと相撲協会から給料は出ない。相撲協会でも「新十両」とか紹介される。それ以下の番付の「序の口」とかは手当は出るが基本無給である。十両になれるのは10人に1人だそうだ。部屋に入っても力士になれずに引退する方が多いのだ。

普段なにげなく見ている相撲にもそうした歴史がある。そんなネタです。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んでもらってありがとうございました。

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