読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

宮崎駿はなぜ怒ったのか?

アニメ 雑談


うって変わってアニメの話である。

先日のNHKのドキュメンタリーで宮崎駿(以下宮崎)が川上量生(以下カワンゴ)を怒鳴りつける映像が流れた。
そしてそれが「宮崎のいじめ」とか「老害」とか様々な反響があった。

経緯はカワンゴが自社で開発したAIで作成したアニメを見せて、それについて「気持ち悪いでしょ」と発言したら、宮崎が切れて怒った。詳細はネットでも大きく取り扱われてるので割愛。

映像内容が障がい者を意識させたとか、宮崎がAIを否定したとか見解は様々だが、そこで小生の主観を書きたいと思う。

宮崎はたぶん映像自身に怒ったのでは無く、カワンゴの創作姿勢に怒ったと考える。それは宮崎が「実験だと言うことは分かる」と言ってるし。「やりたければやればいい」とも言っている。

宮崎はカワンゴが半ば笑いながら「気持ち悪いでしょ」と連呼して説明したことに怒っているのだ。

原則的にクリエイターは、自分の美意識に基づいて創作する。これはもう致し方ない感情で「自分が楽しいと思わずに、人を楽しませることなんてできない」と言う感情と同一なのだ。

特に宮崎は自己の美意識を作品に投影する監督である。自然を崇拝してるから、宮崎の描く森は素晴らしく綺麗だし、子供を愛してやまないから、宮崎作品の子供はけなげで、従順で、かわいいのだ。それは宮崎自身が「子供は天使」と思ってるから描けるのだ。

もちろん、自然は恐ろしいし、子供も天使ではない。自然は平気で人間社会に牙をむくし、子供もいじめはするし、物を盗んだり、他人に嫉妬したり、悪にもなれるのだ。

しかし宮崎はそんな現実は作品では見たくないのだ。少なくとも自分作品では見せたくない。だから描かないし、描けないのだ。

関連で少し高畑勲(以下高畑)の子供観との対比を書く。

高畑の描く子供は、ずる賢く、反抗し、物を盗む、これは宮崎作品では描けない作品の魅力である。「火垂るの墓」では主人公は家出をし、生活に困って火事場泥棒をする。そして常習犯となり、大人に捕まって殴れて警察に連行され、謝罪して釈放されるがやっぱり窃盗するのである。

かぐや姫の物語」は子供たちは集団で畑泥棒をする。瓜を盗み大人に見つかる。そして、盗んだ瓜を子供たちで分け合って旨そうに食うのである。

本当に旨そうに食う。

しかし宮崎アニメでそう言う子供は登場しない。高畑が関与した「未来少年コナン」や「天空の城ラビュタ」でも主人公は直接的には窃盗はしないのである。

それは宮崎がそんな描写はしたくない。できないからなのだ。

自分の好きなものは見せる。嫌いなものは見せない。

そこでカワンゴの態度である。カワンゴは自己が気持ち悪い物を見せて「気持ち悪いでしょ」と言っている。簡単である「自分が気持ち悪いと思ってるなら最初から見せんな」である。仮にカワンゴが「一見気持ち悪いけどすごい発想ですよね」とか言っていれば反応は違っていたかもしれないと考えるのだ。

それも宮崎はある程度は分かっていて「実験だと言うこと分かる」と言っている。でも「嫌いなもの描かない」と言うクリエイターとしての信念は譲れない。

だから「やりたかったやればいい」に繋がるのである。あの映像がカワンゴの美意識の中にあるならやればいい。でも宮崎は「俺は協力はしない」と言っただけなのだ。

当たり前である。宮崎の美意識にはあの映像は無い。障がい者を連想させるし、何より視覚的に気持ち悪い。そんな物をプレゼンに出して宮崎が喜ぶ筈がないのだ。

そして鈴木敏夫の「どこにたどり着きたいんですか」である。

単純にプロデューサーとして「何がしたいの分からない」だけなのである。カワンゴがAI技術を売り込み来た。それは分かる。でもってあの映像である。宮崎の美意識とは明らかに合わない。その上本人も「気持ち悪い」である。少なくとも売り込むならクライアントの好みくらいは知った上でプレゼンする。そんなの営業の常識である。

しかしカワンゴは敢えてわざとあの映像を持ってきた。訳が分からないのだ。小生だって分からない。あれをみて宮崎に気に入って採用するはずがない。そんなことも分からずにプレゼンしてるのか?と。

でももしかしたらカワンゴなりのプレゼンの意図があるかもしれない。だから率直に「どこにたどり着きたいんですか」と聞いたのである。プレゼンの戦略を聞いたのだ。

そのあたりでカワンゴが泣くのだが、まあ酷だけど泣くようなことじゃない。

プレゼンの戦略が間違っているのである。それかそれを説明できないカワンゴが悪いのだ。もし戦略があるなら、そこで泣かずに説明すればいい。

まあカワンゴを擁護するなら、宮崎の指摘があまりにも抽象的過ぎてどう説明すれば良いか分からないと言う面もある。「人の痛みを感じない映像」とか、言われたって分からない。もし分かってたらAIなんか使わないだろうし。言葉だけ浮いていて具体性がない。同意したらしたで「じゃあ君は何を理解したんだ?」になる。

そういう言語化できない概念を言語で説明しろってのも無茶である。つまりカワンゴは同意もできないし、反論もできない。もうこれは泣くしかない。

だからカワンゴは泣いた。泣くしかない。

だから「酷だけど」小生は前置きした上で「泣くようなことじゃない」のだ。

その辺のやり取りが「辛辣ないじめ」に見えるのもよく分かる。小生に悪意でいじめるならこれは実に有効なやり口である。正解の無い問題を出して、徹底的に否定する。そして困って相手が答えを聞いたら「自分で考えろ」と怒鳴り返す。

でもそのあたりはカワンゴと宮崎と鈴木の関係をみないと正直わからない。
宮崎や鈴木はカワンゴに悪意を持っているのかなんて、小生にはわからんのだ。

ただこのやり口は上司が部下にやる「パワハラ」の有効な手段なのでやられないように注意しましょう。

最後はちょっと纏まりが無いけど、この辺で締めたいと思います。

読んでくださってありがとうございました。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村