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不倫は悪か?

狩野英孝川谷絵音などの芸能人の不倫は性のスキャンダルについて書きたいと思う。

まあ昔からその手の話題は週刊誌には事欠かないが、常識的に「不倫」つまり「不道徳」と言う事で炎上、総攻撃である。かつては「不倫は文化」で炎上した石田純一フルボッコだった。

そしてまあ、謝罪会見になるけど、実際の所良く分からない。誰に何について謝っているのかが、いまいち明確でない場合が多い。

「関係者のみなさまにお詫びします」とか「お騒がせしてすみません」とか。「自分は不道徳な事をしました」ではない。その辺がふわふわしている。そして謝っている当人が悪いことしたとあまり反省していない。

じゃあ何に謝っているのか?

結論から言うと「芸能人としてスポンサーに損失を与えた事に対して謝っている」のだ。

まず芸能人とは何かついて考える。

芸能人は人気商売である。つまり芸能人の「キャラクター」が資産でそれを売って商売している。ベッキーにしても好感度が高いからCMに使われていたのだ。もちろん他の芸能人も同様に「視聴者に好かれているから」使われる。

だからAKB48の恋愛騒動なども恋愛の問題じゃなくて「ファンを裏切ったから」謝罪しているのだ。かわいい女子を妄想の世界で恋愛対象にしているのに「実は恋愛してます」では幻滅である。もちろん腹も立つ。ファンを辞める場合もあるだろう。

もちろん男性アイドルの「結婚」も同様で「ジャニーズは結婚禁止」なんてのもかつてはあったらしい。現在は「グループで一人なら許す」とか。

つまり事務所は「資産価値を下げる行為はするな」ってことなのである。商売なんだから、損をしてしまう。だからペナルティーとして謝罪させるし、謹慎もさせる。会社に損失を与えたのは、それをした芸能人なのだから。

もちろん直接的に損失を被るのは契約したスポンサーである。最近は違約金も発生するらしいが、迷惑をかけた事にはかわりがない。でもけじめのためにも懲罰はしなければいけない。

そう話になると、もう不倫の具体性とかどうでもよくなっていく。要は「損失を与えたか?」なので行為の善悪などどうでもいい。仮に炎上商法をして、話題になって商品が売れるなら「不倫もOK」なのである。

そして週刊誌も「売れれば良い」のでその手のネタを書く。もう善悪などどうでもいいのだ。全ては「損得」である。そう考えれば納得がいく。

でもって、じゃあ不倫の善悪って何?と言うことを考察してみたいと思う。

不倫と言うのは「倫理を犯した」と言うことで、前提となる「倫理」が必要になる。法があるから違法とか犯罪があるわけで、法に書かれてなければ違法ではない「法が不十分」なのだ。そして倫理と言うのも法ではないが規範である。元となる規範の正当性が必要になる。そしてその正当性は大抵の場合、宗教を前提としている。

そこでちょっと強引だけどキリスト教を前提にしてみる。それは性道徳に関してキリスト教は厳格だからで、日本で言う「不倫」もキリスト教を前提にしてるからだ。

そこでキリスト教ユダヤ教イスラム教)の戒律から考える。

戒律の原点にあるのは「十戒」と言う戒律である。シナイ山でモーゼが神から受け取った石板に書いてあったとされる戒律である。これが原典になって、新約聖書イスラム教へと拡散していく。その点では、この宗教は兄弟のようなものである。

多少の解釈の違いはあるけど、大体以下の十の戒律がある。

    主が唯一の神であること
    偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
    神の名をみだりに唱えてはならないこと
    安息日を守ること
    父母を敬うこと
    殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
    姦淫をしてはいけないこと
    盗んではいけないこと
    偽証してはいけないこと
    隣人の家をむさぼってはいけないこと

性道徳に関しては「姦淫してはいけない」と「盗んではいけない」と「隣人の家をむさぼってはいけない」が該当する。まあ狩野英孝の行為は姦淫とされても致し方ないし、人妻と浮気するのは「相手の配偶者から盗む」とも言えるし「隣人の家をむさぼっている」とも考えられる。キリスト教の倫理には反しているのだ。

日本人は社会と言う土台の上に宗教があると思ってるけど、実は宗教の土台に基づいて社会が出来ている。例えば今日の一週間が七日で日曜日に休むと言うのはキリスト教を前提にしてる(ちなみにイスラムは土曜が安息日)。そもそも太陽暦キリスト教からできているのだ。安息日だから国として休日にしましょうってことなの。法整備の方が後なのね。

だから、日曜日に礼拝(日曜学校)に行って牧師さんに話を聞きに行く訳よ。だから仕事が忙しくても「礼拝が大事」って言って休める訳。だって出勤を命じた上司だってキリスト教徒なんだから。安息日は守らなくっちゃいけない。仕事にならんのよ。

だから、性道徳の言う概念も宗教があって成立する。だから西洋では妊娠中絶が社会問題になって議論される。社会通念の方が後なのね。

なのでまあ、離婚が良くないとかもキリスト教から来てる。所謂「病める時も健やかなる時も…」からはじまる宣誓だけど、最後に二人が「誓います」ってアレだけどあれは「神に誓う」ってことで「信者として神に誓ったんだから守れ」ってことなの。もし相手が嫌いになって「やっぱ辞めた」はダメなの。それは「偽証してはいけない」からなのよ。だから西洋では「偽証(嘘)」に厳しいのよ。それは土台に「十戒」があるからなのね。

日本に本格的にキリスト教が伝来したのは明治以降だし、太陽暦を採用したも明治以後、それ以前の古来からの月の太陰暦を使っていた訳で、だからキリスト教を前提にした倫理観なんてなかった訳よ。そりゃそうよ。戦国期に入ってきて江戸時代は禁教だったから、そんな倫理観を前提とした社会になんてなりようがない。

それが文明開化とともに西洋の価値観を取り入れてきた訳で、だから「昔は違う」と言うのは当たり前なの、意味が無いの。そうやって価値観を変えて今日があるんだから。外国から学ぶってのは単に技術だけじゃなくて、技術の裏にある価値観とか宗教も同時に学ぶってことでもあるのよ。だから日本でも日曜は基本的には休みになる訳ね。

そして、小生は「不倫は悪」とか言うつもりもないし、キリスト教徒でもない。ただ前提のなる定義と論理を書いているだけにすぎない。そこは間違えないで欲しい。

ただ前提を知らないで善とか悪とか決めるのは良くないよと言うのが今回の話。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んでくださってありがとうございました。

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