スマホと情報

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この記事が話題みたいである。

まあ、意見はまあ「スマホばっかやってんな」ってことらしいが、まあ今のご時世「スマホやネット無しに生きられてない」だろうし、叩いた所で、使うやつは使うんだし。

でもって、スマホである。実を言うと小生はスマホを持っていない。もちろんネットには依存しているが、未だに携帯電話である。それも買うのは相当遅かった。その点で言えば「やっていない優等生」ってことなんでしょうかね?

そして書籍からである。昔は本を読むことは程度の低いことだった。読む暇があれば経験を積め、座学は身にならんと言われたものである。今もその傾向はある。「現場に出て一人前」と言う考えである。小説もそうである。小説を読むなら論文を読め、哲学書を読めと言われた。そしてテレビが普及して「本を読め」になって「テレビで一億総白痴化」と言う言葉が出来た。でもってスマホである。

もちろんそう言われてた頃には、そう言う事情がある。本が叩かれた時はそれがメディアの主流だったし、テレビの時もそうである。食事をする時にテレビを見るとか、怒られた時代である。食事の時に本読むなとか、子供がテレビばっか見てバカになるとか、まあそれだけメディアの主流でもあるし、影響力もあった。

メディアとして強かったのである。

そして、視聴率が20%以上の番組などザラにあった。タレントの萩本欽一など「視聴率100%男」と言う異名を持っていた時代である。これは「欽ドン」や「欽どこ」「週刊欽曜日」など、彼のレギュラー番組を全部足すと「一週間で視聴率が100%」になるところからの異名である。それくらいテレビはメディアでは絶対的であり、庶民はテレビを見ていたのだ。

そして、ネットメディアが台頭し、今やスマホの時代である。そしてテレビがかつての新聞や雑誌のように、斜陽となり、その座から降りつつあるだけなのである。でもって台頭してきた「スマホ」に対して「スマホをやるとバカになる」かのような発言である。

 

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結局「ラノベは低俗」と言う構図と同じなのである。なにやらテレビの視聴者層が高齢化しているらしく、その点まで同じである。

そして、スマホ依存の問題は、結局はSNSとコミュニケーションので問題あって、情報の問題とも思えないんだが。その点でも結構、違和感がある。

大体、1日数時間もネットで検索なんざしてない。そもそも、一般人はそれほど情報に執着していない。だからネットでも「まとめサイト」みたいな見出しだけで判断するのである。そして、興味があって初めて検索する。そんなもんである。大抵は、まとめサイトをちゃちゃと見て終わりである。

じゃあ何にそんなに使ってるかと言えば、SNSである。まあ極端に言えばツイッターで、四六時中ツイートしてるから、7時間とかになるわけである。5分おきに「通勤今家出る」から始まって「駅についた」とかである。そして家に帰ったらもその調子でツイートである。そして「寝る」とかツイートして就寝。これはブログでも同じことで、昼飯の写真とってブログとか。そりゃあ一日7時間使っても足りないよね。もちろんLINEと言い換えてもかまわない。

つまりスマホの利用の大半はコミュニケーションなので、それで「専門書を読め」って言ったって、それ「明後日の方向で論点づれてないかい」である。今の人も調べたい時は図書館行ったりして調べている。ただ、調べたいことが無いだけである。

そうして、コミュニケーションの変化は、時代ともにあるもので、例えば主婦の会話も昔は公園などが主で今も「公園デビュー」と言う言葉もある。でも電話が普及して「長電話」が問題になった。一日3時間とか電話する女性も多かったのである。特に主婦の長電話は嫌がられたり、今でも年配の女性は「電話魔」が多い。そして女子高生も長電話だった。大抵女性は長電話で親に叱られて経験は持っているだろう。

もちろん小生も毎日では無いが、恋人と長電話した記憶もある。

そして、ポケベル文化になって若者はポケベルで送信しあったりしていた。そして、携帯電話が普及する。携帯電話は、電話と親和性が高かったら、電話魔がエスカレートした。「携帯依存症」と言う言葉もできたくらいだ。運転中の通話が問題になったり、映画館や病院での使用マナーもできた。

そして、携帯電話の大きなの違いがあった。「持ち歩ける」事である。つまり「四六時中電話がかかってる」のある。そして携帯なので、可能限り出なければならない。それは外出中であっても持って歩けるからである。なので相手もそれ前提でかけてくる。そしてたまに形態を忘れて外出して外出中に電話が来て、遅れて電話すると怒られるのだ。忘れたと言うと「ちゃんと持って出ろ」である。確かに相手の不満は理解できる。でもって風呂に入ってる時にも電話がくる。出ないと怒るのである。

相手はこっちの都合は知らないから、当たり前である。相手は風呂に入っていないのだ。でも相手に合わせて電話に出なければならない。なにしろ携帯なので、「いつでも出られる」と思ってるからだ。

スマホもこれと同じだ。ツイートする。返信がないと不安になる。返信が遅れると怒る。LINEが既読にならないと怒るのも同じで、そして既読になったら返信が来ないのにまた苛立つ。そうならない為には、もうスマホに張り付いていなければならない。

だから風呂にまでスマホを持ち込むのである。それはいつツイートがくるか分からんし、来たら返信とか「いいね」をしなければならない。それが遅れたら、嫌われるかもしれないし、いじめに遭うかもしれない。親子の連絡でさえ「連絡には速く出なさい」である。まあ気持ちは分かるが、それで1日7時間をとうこう言っても意味がない。

最後に私事を少しだけ書こう。小生は、今でも携帯電話をほとんど使わない、要件がそれほど無いってのもある。そして買ったのもかなり遅くなってからである。

もちろん買ったのにも理由がある。それは、自動車でちょっとした接触事故を起こしたのだ。もちろん怪我は無く、減点も無い、物損事故である。そして、とりあえずディーラーに連絡して、保険屋の手配をした。その時である。

「で、携帯電話の番号を教えて欲しい」

その時は近くの公衆電話を使っていた小生は…それで携帯を購入したのである。なので事故が無ければ携帯は買わなかったかもしれない。それくらい「携帯があたりまえ」の頃に買ったのである。まあ、その後の保険屋とのやり取りにも携帯を使ったけどね。

なのでスマホ文化を否定しても、もうそう言う世の中のなのだよ。

本当は情報についても書こうかと思ったけど、この辺で締めたいと思います。

長文を読んでくださって、ありがとうございます。

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