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堀北真希と石田三成

 

news.biglobe.ne.jp


このツイッターが炎上だと言う。

まあ、堀北真希の引退と「真田丸」で石田三成を演じた山本耕史のとばっちりと言うかネタなのだろうが、山本耕史なら「新選組」の土方歳三もやり玉にしないとかわいそうじゃないかとも思うんですけど。同じ大河ドラマだし、三谷作品だし、ネタにもされない土方さんはどうなんでしょうか?

でもってこのネタで石田三成ついて書いて見たいと思う。

まあ、関ケ原で負けたので有名な戦国武将である。「戦下手」と言われ、あまり評価は高くない。最近では少しづつ再評価の動きもあり、滋賀県も「石田三成のCM」とかやっているそうだ。まあ今年の大河は「女城主直虎」である。滋賀県彦根城は井伊家で築城は井伊直継、直虎の孫にあたる。ちなみに徳川四天王の「井伊直政」は直虎の養子で直継の父である。そしてひこにゃんの「招き猫」の逸話は直継の後に城主となった弟(直政の次男)の直孝の逸話である。まあこっちの方が人気があるようだ。おなじ滋賀県関ケ原の後三成が統治していた佐和山城に入ったのも井伊直政でもある。地元では西軍と東軍、どっちを押すのでしょうかね?

でもって、三成の生い立ちは近江の商家の生まれだと言う。秀吉に接待というか、お茶の出し方を誉めれられて仕官できたと言われてる。商人の生まれなので、計算が得意で兵站管理で頭角を表して出世した。武士は軍人である。鉄砲玉のように敵陣に乗り込んで暴れまわる猛者は幾らでもいるが、兵站を扱う数字と計算に長けた人物はすくない。「武士の家計簿」と言う映画でも、勘定型の猪山成之は幕府軍として参戦して新政府軍の捕虜になるが、その兵站管理能力を買われて、新政府では海軍の主計官になった。三成もそう言う貴重な存在でもあった。

今で言う「財務と経理のプロ」である。なので太閤検地も彼が仕切ったと言う。本社勤務で秀吉の側近で、まあ「秘書室長」や「監査部長」もやっている。まあ検地そのものが「国税調査で査察」でもあるのでそう言うことも、三成の役目でもあった。

そして、大抵の現場で監査は嫌われる。痛くもない腹を探られるからだ。そして経理も好かれない。領収書もっていっても、なかなか必要経費にしてくれなかったりする。まあそれをきっちり管理するが経理や財務で「経費節減」と何かとうるさい。仕事なのでわかるが、現場には「現場の事情」ってのもある。だから好かれないのである。

三成はそう言う現場肌の武将と折り合いが悪かったと言われてる。所謂加藤清正福島正則である。根っからの軍人で現場叩き上げの秀吉の子飼である。そりが合わない。でも同じ秀吉の子飼の派閥でも小西行長あたりとは馬が合う。小西も商人の息子で、朝鮮人参を扱っていたと言う。なので同じ子飼でも経理に明るい。朝鮮の事情にも詳しいので朝鮮出兵では先鋒をやったり、現地で停戦交渉もしている。もちろん中途採用組である。宇喜多秀家も岡山の出身で中途採用組。例外は黒田長政くらいだろうか?

そして、清正ら「尾張組」である。秀吉が侍大将だった頃からの子飼である。三成や行長は秀吉が長浜城主になってからの採用組である。同郷意識が違うのである。墨俣一夜城の社畜自慢とかされても、三成らにはピンとこない。そう言う違いがあるのだ。

もちろん三成以前も経理担当はいた。秀吉の弟の秀長が有名である。秀吉がまだ、組頭とかしてた頃からの経理である。そして秀長の死の後、三成が経理を仕切るようにもなってくるのである。その頃から三成の評判が悪くなる。利休の切腹や秀次事件など、何かつけて三成のせいにされるのである。

まあこれは秀吉政権の肥大化による弊害も大きい。つまりベンチャー企業だった頃の尾張の秀吉と一部上場に上り詰めた関白秀吉では規模が違いすぎる。もう同じやり方では通用しない。秀長は明らかに「中小企業の経理担当」だった。あまり規則にこだわらない。現場の無理な資金要求にも結構応えた。不透明な支出も許していた「現場優先」をモットーとした経理である。だから利休のような怪しげな人物とも付き合っていたのである。まあ大なり小なり急成長する企業にはそう言う「ブラック」な部分がある。経理や監査として「それを見て見ぬふり」を秀長はしてきたのだ。

実際、利休と秀長の癒着関係は深い。大友宗麟が秀吉政権に臣従したさい、「公は秀長、内々は利休」との手紙が残っている。利休は明らかに秀吉政権のフィクサーである。公に出来ない裏交渉を利休はしていたのだ。

でも、一部上場になった秀吉政権ではそのような体制では通用しない。経理を透明化して、コンプライアンスも順守しなければならない。そうしないと組織が腐敗してしまうからだ。三成は新任の経理担当として、その膿を出そうした。なので反発や抵抗にあったのである。明らかに怪しい利休を排除したのも、秀次事件も法治主義を前提としたコンプライアンスを重視した結果である。謀反の計画は不透明だか、秀次派閥があった事は事実であろう。鷹狩と称して派閥の集会を開いていた。政治家が「研究会」と称して新党立ち上げの準備をするのと一緒だ。造反行為と取られても致し方ない所もある。

三成はそう言う損な立場でもあった。それが秀吉の死後一気に噴出して分裂して関ケ原になっていくのである。人望がなかったってのも、結構当たってる気がする。「正しいけど虫が好かない」と言うことはよくあることだ。

ちなみに関ケ原に関しては別にちょっと書いた。読んでもらえれば幸いである。

 

 

dekunobou1025.hatenablog.com


三成に関する個人的な感想は、確かに能力はあったが、潔癖すぎるきらいがある。理が強く、情が薄い。そして繊細で慎重。所謂「几帳面」と言われる性格である。口約束でなく、必ず書面に残す事を要求するタイプだ。だから細かい事に良く気付くので、経理に向いているとも言えるけど。でも柔軟さに欠けて、冒険が出来ないの人なのである。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さってありがとうございます。

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