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教育勅語と女性問題

政治 社会 雑談

 

 

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稲田防衛大臣のいつもの発言である。

いつもの右翼の方々のテンプレのような発言で、取り立てて騒ぐもんでもないのだが、今回は森友学園絡みもある。そこで教育勅語について考えてみたい。

でも勅語全体を解釈して考えるのは、大変な作業だ。そもそも「教育」と言う、文化とか宗教をを背景とした話なので広範囲にになる。とても無理なので、今回は稲田防衛大臣が「女性」でもあるので「教育勅語と女性」に絞って考えてみたい。これだけでも十分「教育勅語の問題点」が浮彫にできるのだ。

教育勅語では「夫婦は仲良くせよ」と書いてある。字面だけみれば、変な事は書いていない。でも違うのである。字面で見るから問題点が見えないだけである。

でもって解釈である。まず、教育勅語の全体的な背景で考えなければならない。それは「孝」とか「忠」とか「信」とか明らかに儒教の価値観を前提に書かれている。そもそも、近世の江戸時代は儒教社会であった。武士は必ず「論語」を暗唱した。

明治新政府もその儒教の価値観を前提に教育勅語を書いている。その点を右翼は触れないのか、触れたくないのか、無視して字面だけで無理やり解釈しようとする。だから右翼の解釈がおかしくなるのだ。「良いところもたくさんある」と言うけど、具体的な解釈がない。できないのだ。

そして儒教では「妻は夫に従え」が絶対である。そもそも男女同権の思想が儒教にはないのだ。だから明治の民法は女性蔑視の思想がある。

そもそも、女性に参政権や被選挙がない。明治憲法下では稲田防衛大臣の地位は「存在すら許されない」のだ。それは稲田防衛大臣が「女性」だからだ。被選挙権がないから立候補すらできない。議員にもなれないのだ。その明治憲法教育勅語を賛美するのは、不可解で、良く分からない。

それが、敗戦で日本国憲法になって、教育勅語を廃止された。それから女性は強くなったのである。戦後「女性と靴下は強くなった」と言う言葉もある。ナイロンで強くなった靴下にかけて言われた。もちろん、女性が参政権と被選挙権を持ったからである。そして、それから本格的な「女性解放運動」が始まったのである。女性の「30歳定年制」が問題になって、運動にもなったし、裁判にもなった。

だから「教育勅語廃止」は重要な意味を持つし、復活してはいけないのである。

なので、男女雇用機会均等法も、セクハラの規制も、教育勅語が廃止されて「価値観が変わった」から実現できたのである。そもそも「女は男に従え」ではセクハラはOKである。だから昔の男は平気でセクハラをした。そんな教育は受けてこなかったからだ。「飯」「風呂」「寝る」しか言わず、夫は妻を服従できたのは、儒教教育勅語のおかげである。でもアメリカの自由な価値観が入ってきて「それをやめよう」となって今の時代がある。

そして価値観も多様化した。専業主婦が女性の中心は無く、共働きが増えた。そのような社会の中で儒教の「女性は家庭に入るべき」と言う価値観はもう通用しない。そして、今の社会は良い社会だと考える。人権も保障されるし、言論の自由もある。治安も良い。平和である。懐古主義のように「昔は良かった」とはとても思えない。今の方が数段良い社会である。多様な価値観を認めようと言うのも教育勅語を廃止したからだ。教育勅語では「一つになろう」なので、多様な価値観は容認されない。意見が分かれてしまうからだ。私はそんな社会には戻りたくはない。

しかも、今日では女性を社会の労働力として活用しなければ、とてもこの日本経済は成り立たない。仮にすべての既婚の女性が専業主婦になったら、とても労働力が足りなくなる。今は出産、育児中であっても「職場復帰」したいと思う女性も多い。女性を家庭に閉じ込めて、社会との関係を断ってしまうような社会はもう通用しないし、否定されるべきだ。女性だって人間である。人権ある。社会とつながってこそ人間である。そして男性は家庭を顧みずに「仕事人間」になってもいけない。家庭を尊重してこそである。育児にも参加して、家庭のために「育休」を取ろうと言う啓蒙活動もある。

それも教育勅語が廃止されたのが始まりである。そこから、少しづつ価値観を日本人は変えていったのである。

それだけでも「もう教育勅語は時代遅れ」なのである。もちろん個々の家庭の価値観で専業主婦があってもいい。でも「教育勅語」で規定するのは間違っている。そんなこと、いちいち国家が指図すること自体がおかしいのだ。

でもって、稲田防衛大臣の発言である。確かに価値観は理解できる。でもそれは「自分の足元を壊す」行為である。先人たちの女性解放運動がなければ、女性は議員になれない。大臣にも当然なれない。今の稲田防衛大臣は存在すらできないのだ。そこを飛ばして「昔は良かった」なんて「よくもいえるものだ」と考えるのだが。

老害と言われる保守的な男性政治家が言うなら、まだ理解できるが、なぜ女性の稲田防衛大臣がこんな「時代遅れで女性蔑視」の教育勅語を支持するのか理解できない。

教育勅語を復活させて、女性たちの権利を失ってから「唖然」としても遅いと考えるのだが。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

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