偉人と名前

 

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聖徳太子厩戸王かと言う話である。

表記の問題なので、個人の歴史認識の問題でもない。同一人物なので「呼称」の話である。歴史学としては、それはそれで研究対象であるのだが、一般人のレベルだと、実はどうでも良い話でもある。

日本書紀には厩戸皇子と言う記述があり、これが一番近いとも言える。聖徳太子の「太子」も「皇帝の子息」と言う意味である。「皇太子」の「太子」である。その点では「天皇の血縁者」であることは間違いがないのだろう。聖徳太子と言う呼称は後世に追贈された名前であることも分かっている。その点はほぼ間違いがない。

後世に追贈されたから間違いかと言うと、そう言う話ではない。例えば豊臣秀吉は「豊国大明神」である。徳川家康は「東照大権現」でくある。「神君家康」と言うのは「大権現」だからである。別に間違っていない。呼称など頻繁に変わる。

それでも男性の名前はまだ調べようがある。記録に残ってる事が多いからだ。これが女性となると大変である。ほとんど残っていない。家系図があっても、信憑性もあるし、それ以前に家系図にすら記録が無いのである。もちろん「女子」とは書いてある。でも「名前」が記載されていない。なので「某女」と書かれることがほとんどである。だから名前は分からない。

なので織田信長の正室の正式名称は「斎藤道三の娘」である。濃姫は俗称で信憑性がない。「美濃から来た姫だから、そんな呼び方じゃね?」程度である。子供を産んでいないので、史料も残っていない。割と史料が多いのは側室の生駒吉乃(キツノともヨシノ)である。信忠と信雄を産み、一女をもうけている。相当信長に寵愛された女性のようである。「武功夜話」と言うかなり信憑性のある史料に書かれてる呼称である。

名前は正しいが、明らかに実名ではないのは「細川ガラシャ」である。名前からして「キラキラネーム」である。親がこんな名前は付けるはずがない。もちろん付けてないのだが。

なぜならこれは「クリスチャンネーム」だからである。当時入ってきたキリスト教に改宗したから「教会がつけてくれた名前」である。なので当時の教会の史料に記載されている。洗礼を受けたのだから当然である。今でも名簿に残して管理するのが教会である。もちろん西洋の方が付けるから「キラキラネーム」になるのは当たり前で、そう言う名前は多い。少年使節の4人も伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルティノ。もちろん全てローマで洗礼を受けて、クリスチャンネームを授かっている。珍しい所では大河ドラマの「黒田官兵衛」も洗礼を受けて「ドン・シメオン」と言う名前を持っている。キリシタン大名の一人でもあったのだ。

黒田官兵衛にしても、如水なのか、孝高なのか、色々である。如水は仏門に帰依してからの「法名」で一般的には戒名である。なので帰依すれば生前に授かる名前である。そういう名前は、戦国大名にも幾らでもある。斎藤道三の「道三」は法名である。武田信玄の「信玄」そうだし、上杉謙信もそうである。上杉謙信は面倒である。長尾景虎上杉政虎上杉輝虎上杉謙信である。途中から「上杉」になるのは「関東管領」になるために上杉家の養子になったのである。なので養子先の上杉家の当主の上杉憲政の「政」をもらっている。でも上洛して将軍に拝謁して「足利義輝」の「輝」をもらって変えたのである。こうなると面倒くさいので、特に問題がなければ「上杉謙信」で書いてしまう私である。

時に親の名前の一字を貰うと言うのは良くあることである。戦国時代もよくやった。それを主従関係と捉えて「一字を授ける」のである。烏帽子親と偏諱と言う。なので家康の人質時代は「松平元康」で「元」は当然「今川義元」の「元」である。その点では名前を検証するのは歴史学でも重要な事であるのは分かるのだ。

でもたまに勘違いがいて、例えば「本能寺の変で家康共謀説」に固執するあまり「徳川秀忠」の「秀」は「明智光秀」の「秀」とか書いたりする。家光の乳母の春日局が関係者だから、いい加減な研究者の書物はついそう書いあったりする。信用してはいけない。

この「秀」は「豊臣秀吉」の「秀」である。なぜなら秀吉の養子に入った家康の次男は「秀康」である。和解の条件として家康が次男を人質として出した。のちに結城家を継いで「結城秀康」となる。じゃあこの「秀」は「明智光秀」なのかって話である。そんなバカな話はない。養子先の秀吉の「秀」である。なので徳川秀忠も「秀吉の秀」なのである。宇喜多秀家の「秀」も秀吉である。彼も秀吉の養子(人質)だったけどね。

名前も調べると実は結構面白い。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んで下さって、ありがとうございました。

 

 

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