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乱闘と文化の違い

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4月4日の阪神、ヤクルト1回戦(京セラドーム)で乱闘があった。阪神藤浪の投球がヤクルト畠山も肩に当たり、それが原因で乱闘である。

 

その日の藤浪は調子が悪かった。もともと四球の多い投手ではあるが。5回までに9四死球。117球も投げた。それが前提にあっての乱闘である。危険な投球が多かったのある。打者が避けられたから死球ではないが、そう言う危険球はある。藤浪はそう言う荒れ球も投手なので、ヤクルト側にも怒りが溜まっていての死球である。「狙ったな」と頭にきて乱闘になった。

 

最近は乱闘は少なくなった。ほとんど記憶が無い。昔は多かった。年に数回は必ずあって「珍プレー」のネタにされていたくらいである。もちろん乱闘は暴行である。法的には傷害罪である。もちろん解説者も「良くない」と言う。大人の発言である。スポーツの試合で殴り合いはよろしくないのは分っている。でも何か興奮して面白がるのも人情である。

 

乱闘は死球がらみ多いのだが、そうでない場合もある。基本的に死球は投手は頭を下げるものだ。当てたのだから礼儀として、帽子を取るものだ。ちょっと生意気な投手でも簡略化して帽子に手を触れることぐらいはする。でも中には本当に生意気で謝らない投手がいたりする。「真剣勝負なんだから避けて当然」みたいな投手もいる。実際心中ではそう思っていても礼儀として「しゃーない」と思って頭を下げる選手も多い。でも一応はやるので、当てられた選手も受け入れる。なのでなんとか乱闘にならないケースも多い。「一応謝罪したから許してやれ」とチームメイトが出てきてなだめるケースも多い。外国人選手など感情的になりやすいから、そうしたケースはよくある。なので、謝罪すらしないとなると、いきなり乱闘である。理由は「当てたのは許すが、謝罪が無いのが許せない」のである。なのでそう言う乱闘はちょっと間がある。審判が「一塁へ行け」と言う判定がでて1分ぐらいたってから起こる。当てれた選手は謝罪を待っているのである。そして「謝らない」と分かった時点で乱闘である。

 

何かとある乱闘ではあるが、野球も文化である。何かしらの文化的背景がある。よく「野球とベースボールは違う」と言う話もある。巨人のクロマティ選手が「さらばサムライ野球」と言う本を書いていたりもする。内容の大半は暴露であるが、アメリカと日本の「野球観の違い」も書いている。

 

最近「リベンジ」と言う言葉をよく使う。負けた選手が「リベンジします」とか言う「リベンジ」だが、実は日本語の訳すとあまり良い言葉ではない。「復讐」とか
「報復」である。「やられたら、やりかえせ」と言う意味である。もちろん野球でもよく使うし、日本人がメジャーに行くようになってから流行った言葉である。そして、そう言う国民性とか文化の上に成り立っているスポーツである事も忘れてはいけない。

 

なので「乱闘」がある種、正当化されるのである。相手が明らかに狙って危険球を使うなら、暴力であっても「乱闘で報復すべき」と言う考え方である。チームメイトが死球で怪我をさせられたなら「リベンジ」である。「同じようにぶつけろ」と言うのもベースボールなのである。ちなみに乱闘になったら参加しないとチームは選手に罰金を科す。それはどこの球団でも同様だ。そういうスポーツである。

 

そういう暗黙の了解事項はメジャーにもある。そういう時は「背中や尻だったらぶつけてよい」そうだ。たとえば大差の試合で勝っているチームが盗塁したりしたらNGある。送りバントなんか恥ずかしい行為とみなされる。そんな試合をファンは望んでいない。だから「報復」として「故意にぶつける」と言う。前提に国民性と文化があるのだ。

 

日本はそう言う文化とはある種真逆な国民性でもある。それが投手の謝罪なのだろう。そう思ったりもする。たぶんアメリカ人が見たら「腰抜け」だと思うだろう。悪い事も何もしていないのに、謝罪するのはバカだと。つまり「日本だと投手が謝罪して収める」けど「アメリカだと乱闘して報復する」違いである。「ベースボールは感情と情熱のスポーツだ」とクロマティは書いていた。ホームランを打ったがガッツポーズし、三振したら自分のバットを折って感情を出す。もちろん乱闘もそうある。

 

日本の場合は違う。ホームランを打っても淡々と走る。高校野球では「ガッツポーズ禁止」と言う事もあった。勝っても負けても感情を表に出さない。出すのは感情を制御できない選手が未熟であると言う考えである。相撲もそうだ。力士はほとんど語らない。昔の力士は「ごっざんです」くらいしか会見で言わない。取り組みに関して語るのは恥ずかしい行為である。勝った時は敗者に対しての侮辱になる。負けた時はだたの負け惜しみと受け取られるだけだ。

 

「何も語らない」のが日本人の文化である。それが日本では一番良い対応なのである。

 

以前知人と「柔道の道着の色」の口論になった。国際柔道連盟が「試合を見やすくするために道着の色を変える」と話題になった頃である。私は賛成だったが、彼は反対だった。私は単純に「合理的」だと感じたからである。彼は「白い道着には柔道の精神性があるからだ」と言った。もちろん柔道も近代化の中でざまざま変化をしている。反則や判定を利用したり、注意や警告を利用した戦術も多用されている。でもその中にあって「合理的判断ではなく、日本人的な精神性で判断すべき問題もある」と思ったりもしたのだ。それは「ベースボールには乱闘も含まれる」と言う考えと同じで「柔道には日本人の精神性も少しは残してほしい」と言う思いも同じくらいは理解すべきかとも思うのである。

野球の乱闘だけでも日米の文化の違いはあるのである。

この辺で締めたいと思います。

長文を読んでくださって、ありがとうございました。

 

 

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